語らずして語りなさい。

久々に身体を動かした後に残る筋肉痛には気持ちの良いものがある。年をとるにつれて(そもそもで運動をしなくなるために)筋肉痛になる頻度が少なくなっている気がする。先日大阪の地下鉄で、構内で鳴り響く音楽に合わせて謎に踊りまくる小学生を見た。「コイツは馬鹿だな」と思うと同時に「コイツは良い感じだな」と思う。自分のやっていることが、(社会的に)何の意味も無く何の役にも立たないとしても、何かこう、人間の身体を躍らせる衝動的なエネルギーは素敵だなと思う。このエネルギーを無限に持っている存在が子供であり、私は、大人になってもこのエネルギーを失いたくないなあなどと(子供を見る度に)思う。

 

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20代を喜劇に

世界三大喜劇王の一人であるチャップリンの言葉に『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ』というものがある。この言葉を思い出しながら私は、(20歳になったということで)改めてこれまでの人生を振り返る。なるほど、なんだかその通りであるような気がしてきた。中学生の頃から漠然と「何かがおかしい」とは思っていた。この何かとは何なのか、今でもその正体ははっきりとは分からない。が、ただ一つ確実に言えることは、『周囲に合わせれば合わせるほどに自分が疲れている』ということだけだった。これを解消するためにいろいろなことをやってはみたものの、高校を卒業する時になってもなお、この疲労感から逃れることはできずにいた。それが大学生になって半年を過ぎた頃に爆発したのだと思う。

 

私は大学から逃げて、日本各地を放浪した。人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。良い感じに落ち着いている今から振り返って見ると、抱腹絶倒の喜劇であるが、当時の自分は大馬鹿真面目に悲劇を見ていた。「どうにでもなりやがれ」みたいな感じで、割りとデンジャラスな自暴自棄に陥った。大学の事務員さんから「ちゃんと大学に通いなさいよ」的なことを言われた時は、「うるせーな、てかお前誰だよ」とか思っていた。ネットカフェに泊まる時も、一人で夜道を歩く時も、何をしていても常に「俺は一体何をやっているのだろう」という自意識に襲われ、寂しさや孤独感のど真ん中を彷徨っていた。

 

とはいえ悲劇の中で得たものも多い。目的地は決めず、ホワイトボードには方角だけを書いてヒッチハイクをしていた私は、毎日が予測不可能な事の連続だった。無給で農家や旅館の手伝いをしたり、乗せてもらった人とドライブをしたり、知らない人の家に泊まったり、警察に捕まって取り調べを受けたり。これをすることでしか出会えなかったであろう人たちに出会い、これをすることでしか経験できなかったであろう様々なことを経験することができた。そのような経験は自分の人生に深く刻み込まれ、思い出として強く印象に残っている。

 

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チャップリンの言う通り、10代の人生は近くで見ると悲劇だったが、遠くから見ると喜劇だった。そして20歳になった今、私は「20代の人生は近くで見ても遠くから見ても喜劇にしたい」みたいなことを思っている。遠くから見ると喜劇でも、近くで見ると人生が悲劇であることは、それなりに辛いところがある。私は怠け者だからなのだろうか、楽な道を行きたいと思う。人生は楽しむためにある。自分が歩いていて楽な道【楽しい道】を選ぶということが、現在の自分を、そして結果的に未来の自分を楽しませる喜劇へと繋がる道なのではないだろうかと思う。中江藤樹は言う。「後生(ごしょう)が大切なら、今生(こんじょう)はもっと大切であります。今生に迷うなら、後生にも迷いつづけることになりましょう」

 

 

 

語らずして語りなさい。

主に10代の自分は、言葉を雑に扱っていたように思う。自分が何を思うのか、何を考えるのか、そこから生まれる言葉を周囲に対してぶつけるように発していたところがあった。他人に期待をして怒りの感情を覚えたり、他人に理解を求めてああだこうだと言ってみたり、自分の発している言葉が四方八方に散らばっていて、自分の軸みたいなものがブレていた。少し抽象的な話になるけれど、言葉のベクトルが他人に向いている限り、その言葉は遠く離れて行って自分の中に残らない気がする。遠く離れてしまった言葉は、誰かの心を傷つけたり、誰かの憎しみを帯びたブーメランになって自分を傷つけたりする。言葉というのは、多分、他人ではなく自分に対して放たれるべきである。そして自分に対して放たれた言葉は、己の血となり肉となり、己の態度や行動に自然と表れてくる(ような気がする)。

 

 私の理想とするところは『語らずして語る』ということであり、言葉を駆使してああだこうだと言っているうちは自分はまだまだなのだと思う。ましてや、己に対してではなく他人に対して「ああしなさい」とか「こうしなさい」などと言うことは自惚れの最たるものであり愚の骨頂。逆にそのようなことを言われた時には「お前は何様のつもりなのだ【己の不徳を知れ!】」と思う。

 

他人に対してではなく自分自身に対して言葉を発するということ。自分のこれまでの態度や行動を省みる【己に問いかける】ということ。己に問いかけるという謙譲の姿勢を通して、見る人は心を動かされ、その人もまた己を見つめ直す。他人をコントロールすることはできない。コントロールをすることができるのは、常に己のこの肉体のみである。少なくとも他人を動かしたいと思うのであれば、言葉で語らず背中で語る【語らずして語る】ということ。そのようなことを、自分に言い聞かせている。

 

日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師だといっている。旧藩時代の後期にはもうそういう傾向がつよく出ていたようであるが、明治に入ってはさらにはなはだしくなったのではなかろうか。村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている。

 

ー宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)

 

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