お前はお前でお前のまま生きろ。

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美酢(ミチョ)のバラエティセットでテンションが上がっている。「朝の食欲は皆無だけれど、何も食べないのはそれはそれでなんだかなあ…」と思っている私は、毎朝ヨーグルトに美酢(ミチョ)をかけて食べている。水割りも良し、牛乳割りも良し、ヨーグルトにぶっかけても良し。ミチョという可愛らしいネーミングもさることながら、インスタ映え間違い無しのこのデザインに、文句なしの美味さである。お酢は美容効果もあるらしく、最近お肌の調子も頗る良い(※あくまで個人の感想です)。是非!

 

 

動じている場合ではない。

TwitterやInstagramに投稿されている成人式や同窓会の写真を見て、成人式や同窓会に参加した達成感を勝手に覚えている。故郷にいながらにして郷愁を感じさせる写真の数々には、かつて学校生活を共にした人々の顔が写っている。(お世辞抜きで)完全に仕上がっているなと思った。これが所謂レディース&ジェントルメン。SNSでこのような投稿を見る度に、私は軽い劣等感を覚えていた。が、動じている場合ではない。お前はお前でお前のまま生きろ。

 

この世に生まれ落ちてから20年。その長い20年は一瞬にして過ぎ去った。謎の感覚である。何年も前の出来事が昨日のことのように感じられ、今日の出来事が果てしなく長い人生におけるほんの一瞬の光景にしか過ぎないとも感じられる。もしもアインシュタインが「時間は相対的である」という事実を発見していなかったなら、私が今この瞬間に、その事実を発見していたのであろう。成人式や同窓会の写真を見れば一目瞭然である。「ここに写っているのは、本当に同世代の人達なのだろうか」「私はこの数年間で一体何をしていたのだろうか」「私が各地を平行移動していた間にも、この人たちは確実に大人の階段を上って垂直移動をしている(!)」などと色々なことを思ったが、動じている場合ではない。お前はお前でお前のまま生きろ。

 

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 人間は人間である限り大丈夫である。

単位が取れないからダメだとか、苦手な人と上手く関係性を築けないからダメだとか、就職ができないからダメだとか、『〇〇できないお前はダメ!』みたいな風潮は様々な場面で見受けられる。確かに、「自分にはできない」とそう思った瞬間には、精神的に強烈なダメージを食らう。が、最近では5分も経てば「できなくても全然大丈夫じゃん」みたいな開き直りができるようになった。

 

全然うまく説明することができないのだが、人間は人間である限り大丈夫であるような気がしている。人は、心の何処かしらで『我思う故に我在り』では足りない部分を抱えていると思う。だからそれを埋め合わせるようにして、学歴とか職業とか人脈とか資格とか(所謂表面的なもの)を、自分という人間にペタペタと貼り付けてそれを誇り、そしてまたそれが剥がれていくことを恐れる。私はこのような、自分以外の何か【表面的なもの】を通して自分の存在を確立することは、非常に危険なことであるように思う。これは、表面的なものが剥がれれば自分という存在が揺らぐということであり、『〇〇できないお前はダメ!』みたいな思考を自らで生み出してしまうことに繋がる。

 

『我思う故に我在り』では足りない部分を補うもの、それは(大袈裟になるけれど)『人類全体』である気がする。単位が取れない、就職ができない、苦手な人と上手く関係性を築けない、「自分には色々なことができない!」という思考に嵌ってしまった時、人類全体に思いを馳せる。地球上に生息する一種の動物である『人類』に思いを馳せた時、不思議なことに「アレ?全然大丈夫☆」みたいな感覚を覚える。我思うを超えて人類全体を思う時、謎の安心感を覚えるのは何故なのだろうか。全然うまく言えないけれど、人間は人間である限り大丈夫であるような気がしている。

 

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 お前はお前でお前のまま生きろ。

ひとに理解を求めると辛くなる。もしかすると諸々の負の感情は、ひとに理解を求めるから生まれるのではないだろうか。「誰も分かってはくれない」と悲しみ、「なんで分かってくれないの?」と怒る。この時の自分は、ダサいなと思う。おそらく、人間が最もダサくなる瞬間は『ひとに理解を求めた時』だ。忙しそうにしている人は「俺は忙しいんだ!」と言う。大変そうにしている人は「私は大変なんだ!」と言う。そこにはおそらく、「こんな俺(私)を見て、分かってくれよ!」という他人に対する甘えがある。

 

「誰も分かってはくれない」と悲しくなりそうな時、「なんで分かってくれないの?」と怒りそうになる時、私は自分に『お前はお前でお前のまま生きろ』と言い聞かせる。すると心がスーッと軽くなる感覚を覚える。他人と自分を比較して劣等感に襲われても、お前はお前だ。みんなが平然とやってのけていることが自分にはできないとしても、お前はお前だ。ひとに理解を求めるのではなく、誰も分かってくれないとしても、少なくとも自分だけは自分の気持ちを理解してやる。「違う」と思ったら違う。「嫌だ」と思ったら嫌だ。その気持ちに殉じて(言葉で語らず)行動をする。

 

他人の言うことよりも自分の言うことを聞け、と思う。「こうした方がいいよ」とか「ああした方がうまくいくよ」とか、そういう情報がこの世の中には大量に出回っている。ヒッチハイクをして様々な大人に出会う中で色々なアドバイスを頂く。資格とかスキルとか英語力とかなんたらかんたら、実際それらは重要なことなのかもしれない。しかし私は、私が「これだ!」と思う方向に進みたいと思う。大多数の他人が言うことよりも、たった一人の自分が言うことに従おうと思う。よくよく考えてみると私は、良い(とされている)方向に進みたい訳でもなければ、上手くいく方向に進みたい訳でもないと思っている。そこに自分の心がついてきていなければ、どの選択をしても虚しくなるだけだ。だから私は、(後になって苦しむことがあったとしても)あくまでも今自分が「こっちだ!」と思った方向に進みたい。理由はなくとも、かなり漠然としていても、自分が選んだ道を進んでいれば、死ぬ時になって悔いることは何も無いだろうと思う。

 

 

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