なぞなぞがしたいだけなんだ。

 中学高校と剣道部に所属していた私は「久々に剣道をやりたいなあ!」と思い立ち、近所の体育館を借りて新年早々剣道をやった。竹刀を握るのは久しぶりのことで軽く舞い上がっていた私は、調子に乗って足を酷使し続けたために、右足が死んだ(超絶楽しかった)。

 

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剣道の素晴らしいところは「カッコイイ」ということである。剣道を始めた理由も「カッコイイから☆」だった。礼儀作法を身に付けたいからとか、精神的なところを強くしたいからとか、そんな理由で始めていない。「ただ、カッコイイから」という最強にダサい理由で始めた。今から思えば、自分がしてきた選択にもっともらしい理由なんて無い。「カッコイイから」という理由で剣道を始め、「学ランよりもブレザーを着たい!」という理由で高校を選び、なんとな~くで大学に入った。これってどうなんだ?みたいに思うこともあるけれど、「まあ、嘘はないからOK☆」と思っている。

 

キモいな。

立ち話がものっすごい苦手である。根本的に、人は座って話をする生き物であると思っている。立って話をしていると、表面的なコミュニケーションに陥りやすい気がする。大人同士の会話で、「お仕事は何をされてるんですか~?」とか「ウチの子供はもう大学生になりまして~」とか「〇〇大学に通ってるなんて立派ですね~」とか言っているのを見ると、なんかこう、「うわぁ~…」と思うことがある。そこに愛想笑いが浮かべられていると「キモいな」と思ってしまう。その愛想笑いをしている人がキモいのではなく、愛想笑いをせざるを得ない空間・関係性をキモいなと思う。「とりあえずこれを言っておこう」とか「なんとなく(初対面の人同士っぽい)話をしておこう」とか、その人のそういう雑な心が透けて見えた時、私はこの上ない不快感と退屈さを覚える。

 

お世辞とか社交辞令とか世間話とか、はっきり言って、要らない。そんなやり取りを重ねたところで、なんというのだろう、『何も伝わらない』と思う。何も伝わらないことを分かっていながらとりあえずその場を取り繕っても、そこには虚しさが残るだけだ。たまに、どうしようもない寂しさや孤独感に苛まれることがあるが、そういう時はたいてい、自分自身が心のない言葉のやり取りをしまくっていることが多い。

 

 

俺が救われてない。

どうして表面的な会話【心のない言葉のやり取り】をするのかについて考える。多分、多くの人が『沈黙』を嫌っているのだと思う。二人で座って話をする時に、ふと沈黙が生まれる。その沈黙をかき消すために行われるものが『表面的な会話』になるのだと思う。お互いがその沈黙をかき消したいと思っていれば、おそらく表面的な会話によって場が保たれて(それによってお互いが救われて)、「まあ、結果オーライ☆!」みたいな感じになる。がしかし私は、沈黙なんかよりも心のない言葉のやり取りの方に圧倒的な不快感&退屈さを感じるので、相手が表面的な会話をして場を保ったとしても「いやいや、お前は救われても俺は救われてねーよ」みたいな感じになってしまって、途端に私が不利な状況に追い込まれる。

 

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自分に問い続けたい。

私はクイズ番組とか脱出ゲームとかなぞなぞが好きだ。『考えること』が好きなのだと思う。答えを出すことよりかは、答えを導き出す過程が好きで、一人で考えるよりかは誰かと一緒に考えていたい。クイズとかなぞなぞには答えが設定されているが、どちらかと言うと私は、答えのないもの【分からないもの】について興味がある。(数学の証明とは違って)分からないものだからこそ、その解明に挑む人はその人オリジナルの考えで挑むような気がする。答えなんかに興味はない、答えなんてどうでもいい。その人自身の考えに触れることができた時「この考えについてお前はどう思うのか」と、自分に問いかける瞬間がある。これがクイズとか脱出ゲームとかなぞなぞで言うところの『考える時間』となって、コミュニケーションの手応え【より深い部分で自分を知ること】へと繋がって行く。

 

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今年2018年の抱負として『あらゆる人と話をする』みたいなことを言っておきながら、私自身、『人が大勢集まる場所へ行って、そこで積極的に話しかけに行く』みたいな気は全く無い。立ち話をしているとありえないぐらい疲れるし、人の大勢集まる飲み会などに参加しても、経験上『コミュニケーションができた』ことが一度も無い。こんなにも人が集まっているというのに、どうしてこれ程『コミュニケーションができた』という感覚が薄いのだろうか、と思うことが頻繁にある。

 

 

なぞなぞがしたいだけなんだ。

私は自分の経験を語りたいと思う。そして、自身の経験から『問い』を生み出したいと思う。できることならば、(私だけではない)より多くの人に通じているような、そんな問いを生み出して、そのことについて誰かと話がしたいのだと思う。自分の中で何か大きな矛盾を抱えていたり、生きていく中で生きづらさや自意識に苦しんでいたり、漠然とした不安や恐怖に(心の何処かで)怯えていたり、私はそういう人を見ると「この人は『問い』を持っている…!」みたいな感じで好感を覚えることが多い。

 

飲み会や立ち話などで精神的にボロボロになった時、「俺はなぞなぞがしたいだけなんだ」と思うがある。答えは無い、正解は無い、何処に向かっているのかさえ分からない。でも、生きる、そこで色々なことを経験する、そして様々なことを考える。その『経験』と(そこから生まれた問いをもとに獲得した)『考え』について、誰かと話がしたいのだと思う。それら『経験』と『考え』の問答【なぞなぞ】こそがコミュニケーションであり、私は、このコミュニケーションを達成するために(時にはヒッチハイクをしてまで)人と話がしたいのだと思っている。