年末の戯言。

物を捨てるという時に、何の迷いも無しに捨てられる物もあれば、悩み苦しみながら捨てる物もある。長い間使ったもの程、そこに刻み込まれた思い出は深い。いざそれを捨てるという時に、胸に穴が開くような痛みを覚える。しかし私は、過去の思い出や愛着に囚われて、物を捨てられなくなる心理状態が非常に危険だなと思っている。それは紛れも無い執着で、物に対する執着が心に蓄積すると、精神的な貧困に陥る気がしている。「あれも…!これも…!」と溜め込んで、結果的に粘着質な人間になる気がしている。

 

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 戯言1:感謝をしろとか言わないでください。

人から「お前は感謝が足りない」とか「感謝をしろ」とか言われると、なぜなのだろうか、無性に腹が立つ。物凄く傲慢に聞こえてしまうかもしれないのだが、「お前が言う必要はないだろう」と思ってしまう。「感謝をしろ」だなんてそんなこと、自分が自分自身に何億回も言っている。生きづらさを覚えてしまう程に、自分の首をこれでもかと締め付けてしまう程に、自意識が阿修羅の形相で囁いてくる。なのに、なぜ今更、お前に言われる必要があるのだ、と思ってしまう。

 

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当たり前のことなのかもしれないけれど、感謝というのは人から言われて抱くものではない。あくまでも内側から発生する観念であって、他人から「感謝をしろ」と百万回言われたからといって感謝できるというものではない。そしておそらく、自分のことを偉いと思っている人間に偉い人間はいないのと同じ原理で、人に感謝をしろと言っている人間に感謝をしている人間はいないと思う。「感謝をしろ」だなんて、とてもじゃないけれど他人には言えない。他人に言った瞬間に、その言葉の重みはゼロになるものだと思う。

 

感謝というのは、多分、自ずから謝りたくなる心の状態のことだと思う。自由に動く肉体があって、踏みしめることのできる大地もあって、大地を温めてくれる太陽がある。あらゆるものの恩恵の上で、我々は生きることができている、そのことに「マジでもう、本当にごめんなさい!!【ありがとうございます!!】」と感じる心の状態のことだ。「感謝をしろ」だなんてそんなこと、とてもじゃないけれど他人には言えない。そんなことを口にしている人を見ると、「お前は何様のつもりなのだ」と鼻をへし折りたくなる。

 

 

戯言2:年齢を見るな。

年を重ねているからと言って、それが尊敬する理由にはならない。私は、一人の人間としてのその人を見たい。ヒッチハイクで様々な年代の方々とお話をするが、正直に言うと、乗せてくれた大人が明らかに幸せそうじゃなかったり、なんだか疲れ切っているということがある。逆に、なんかすんごい楽しそうだったり、謎に活力で満ち溢れている人もいる。当たり前のことだけど、前者の人々についていこうとは思わない。が、傾向として前者の人々から頻繁に「大人になったら大変だよ~」とか「今のうちだけだよ~」とか「資格取ったほうがいいよ~」とか言われるのだが、申し訳ないけれど何も心に響かない。

 

こんな私は、傲慢なのだろうか。たまに、「俺は傲慢なのかもしれない」と思うことがある。年を重ねていても、どうしても敬えない人がいる。そんな時、「俺はこの人を敬えない」と思う時、「俺は傲慢なのかもしれない」と思う時が(結構)ある。そういう人に限って圧倒的に自分より年齢が上だったりするから、「あれ?俺が悪いのか?」みたいに一瞬思わされることがあるけれども、年齢に誤魔化されてはいけないのだと思う。

 

よくよく考えてみると、(今現在19歳の)自分より年齢が上の人なんて、この世の中には大量にいる。それら全ての人を(年上だからという理由で)尊敬をするなんて無理じゃねーかと思う。年を重ねているからと言って、それが尊敬する理由にはならない。年齢などという単なる数字に惑わされるのではなく、もっともっと人間としての部分【その人の中心部分】を見るべきなのだと思う。

 

 

戯言3:自分を捻じ曲げるな。

私はおそらく、父親からめちゃくちゃ影響を受けて育っている。父親のことは好きだが、正直に言うと、それと同じぐらい(果てしなく)傲慢な男だなと思っている。口癖は「感謝をしろ」とか「社会はそんなに甘くない」とかで、父親を前にすると反骨精神が暴走する。反抗期ではない。おそらく、一生このままでいく予感がする。

 

「感謝をしろとか言うな」とか「年齢を見るな」とか、そういうことは全部父親への反発から出て来た言葉であるような気がする。父親には必ず反発をしてしまう。そしてその反発の言葉を、自分自身に言い聞かせていることがある。「ワシはお前のために働いているんだ」とか言われると、「(それであんたが辛い目に遭っているんなら)今すぐ俺を抹殺してくれ」と思ってしまう。「ワシのおかげで飯が食えているんだ」とか言われてしまうと、「別に飯なんて食えなくていい」と思ってしまう。

 

父親の傲慢な発言を聞き入れていると、自分がますます生きづらくなる。私は、私を生きづらくさせる言葉には全力で反発をする。たとえそれが100%正しいことであろうとも、年上の人から圧倒的力の差を見せつけられても、自分を生きづらくさせる言葉には全力で反発をする。父親と同じように、割と多くの大人たちが「私を、そして他ならぬ自分自身を生きづらくさせる」言葉を口にしている。そのような言葉に触れる度に、私はそこに父親の影を見てどうにかこうにか言い返したくなる。そんな時、(そこで言い返したくなる自分は)所詮この程度なのだと思わされる。しかし、この程度のところを捻じ曲げてはいけない。ここで自分を捻じ曲げた時、その時が『自分』という人間の終焉なのだ。

 

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