メリークリスマス。

12月25日(月)クリスマスの夜、2人の同朋と共に何か面白いことをしたいなと思って威勢よく(兵庫県姫路市~大阪間を)ヒッチハイクで挑んだものの、東加古川付近でリタイアをした。実はイブの日から体調の方があまりよろしくなく、今朝熱を測ってみると案の定微熱を帯びていた。朝っぱらから身体がすんごいダルかった。その時点で安静に休んでいれば良かったものを、しかし、以前から「クリスマスは何か面白いことをしたい」とズンドコ騒いでいた私は、己の体裁を守るために無理をした。「微熱があるからやっぱ中止で」とは、とてもじゃないけれど言えなかった。言いたくなかった。他に道は無かったのだ。更に、CarryMeヒッチハイクのパイオニアであるという責任感は、私に電車を使うことをよしとしなかった。

 

↓CarryMeに乗るということは、調子に乗るということである。

 

ところが、既に1人の同朋が自宅で死んでいるという連絡が届いた。39度の高熱を叩き出しているらしい。彼は高熱を出す前日、健康祈願を吹聴して奈良の新薬師寺へ参拝している。「これはギャグだ」と思った私は、すぐさま近くのマクドナルドに入ってチキンクリスプをヤケ食いし、同朋の無事を祈りながら東加古川駅から電車に乗って自宅へ帰還した。メリークリスマス。聖なる夜を。

 

 頭の中を整理する。

自意識が暴走して文章が書けない。書いては消し、書いては消しを繰り返している。私の文章能力がアレだからというのも大きいけれど、言葉にもやはり限界があるのだと思う。ニュアンス的なものがうまく伝わらない。私としてはそれほど深刻に考えていないことも、文章にした途端になんだか堅苦しい雰囲気を帯び始めてしまう。結果的に「こんなことが書きたいんじゃなぁぁぁい!」みたいなことになってしまって、BACKSPACEキーを連打する。

 

元来人と話すのが下手な私は、ブログという形で文章を書くことで頭の中を整理している。人と話をする時、言いたいことがあまりまとまっていないと(まるで日本人がカタコト英語を喋るが如く)単語を1語ずつしか吐き出せなくなるために、相手に突如として難解な連想ゲームを強いることになる。これをなんとかしたい。

 

 

的確な言葉を探す。

ブログを書く時、私は『的確な言葉』を探している(ような感覚がある)。自分の考えや感情を、うまく言葉として言い表せた時の快感が好きだ。快感を覚えるかどうかは別にしても、この『的確な言葉を探す』という行為は結構重要なことであるような気がしている。自分の中で、(自分の考えや感情を表現し得る)的確な言葉を持っているのと持っていないのとでは、コミュニケーションをする際に獲得する手応えに雲泥の差が出る(と思う)。ヒッチハイクなどで様々な人とお話をしていると、様々な場面で違和感を覚える【意見の違いを見る】ことがある。その時、その違和感を的確な言葉で言い表すことができた時、『自分の軸』みたいなものが確立され、より深い部分で『自分』を知ることになる。これが、コミュニケーションの手応えになる。

 

「自分と対話をする」という言葉を耳にすることがあるが、これは一人になって考え事をすることではない。多分それは遠回りになる。自分と対話をするということは、他人と対話をするということであり、他人との対話で生じる違和に目を向けるということだと思う。そしておそらく、その違和感の中にこそ自分が居る(のだと思う)。

 

 

戯言:社会の厳しさとかどうでもいい。

ヒッチハイクを通して様々な年代の方々とお話をする。経験上、30代の人と話が合う(話を聞いていて面白い)と感じることが多い。バブルの崩壊やインターネットの普及など、世の中が大きく変化していく様を多感な時期に経験してきたからなのだろうか。新しいものに対する興味が強く、変化に寛容なところがある(と思う)。逆に50代とかになると、「(いろいろな意味で)きっついな~」と感じることがある(感じないこともある)。「これからは資格が重要になってくるよ」とか「社会に出ると大変だよ」とか、なんと言うのだろうか、若い世代に対して(そこはかとなく強烈に)社会の厳しさを説き始める傾向がある。これは私がクソガキだからなのだと思うが、私はそんな話を聞きながら「つまんねーな」と思っている。

 

 

 断捨離。

 

先日、断捨離をした。正確には(体調不良ということもあって)今現在断捨離途中である。自分の部屋には、自分が想像をしている以上にゴミが多いのだということが分かった。「迷ったらポイ」ということをブツブツ唱えながら断捨離をしていると、ゴミ袋が何枚も必要になる。

 

自分が本当に必要としているものなんて、限りなく少ないのだと思う。極論、生きて行くのに必要なのは己の肉体と精神だけだ。祖母に服を大量購入してもらっていた昔の自分を恥ずかしく思う。そのほとんどが、今となっては着ていないものばかりで、現在は兄の服を勝手に借用している。最近では自意識が荒れまくって「お前のような人間が新しい服を着るな」と言う。はいその通り。そもそも身の周りにあるあらゆるもの全て、使わせてもらっています。今いる家も、お風呂も、水も、食べ物も、酸素も、太陽も、そしてこの肉体すらも、全て、使わせてもらっています。この『使わせてもらっている』という感覚を抱くことは重要なことだと思うのですが、しかし私の場合、それが極端に現れすぎてかえって自分の首を絞めつけています。生きづらいというところまで来ています。

 

www.jiyu-hajikeru.com

 

 

 

ああ、ここまで書いて、締めくくり方が分からない。毎回ここで悩む。とりあえずここまで読んでくれてありがとう。好きです。メリークリスマス。