物欲のない人間は、非常に生きづらい。

バイト先の人から「物欲がないの?」と聞かれた。兄からも時々「お前は物欲がないな」と言われる。確かに、比較的私は物欲がない方なのかもしれない。そもそもシフトが週に1、2回の午前中しか入っていないので、そんなにお金も貯まらない。「じゃあバイトしてる意味なくね?」みたいなことを頻繁に思うのだが、強いて言うならば私は「海外に行きたい」と(薄々)思っている。が、それも別段、「海外に行くためにバイト頑張るぞー、うおおー!!」みたいな訳でも全然ないから、働く頻度としては現状がベストなのかなと思っている。

 

いつからだろうか、(遊園地とかゲームセンターとか)お金のかかる遊びに面白みを感じなくなった。人が集まる飲み会とかには極力参加せず、ブランド物にも一切興味が無ければ、自分の所有物にこだわるようなこともない。故に、お金を貯める必要がない。お金を貯めても使い道が無いとも言える。別にこれは、私が冷めた人間だからじゃない(と思っている)。むしろ逆で、どちらかと言うと、私は燃え盛りたいと思っている。ブランド物とか高価なアクセサリーを見ても、私自身(の中の心とも違う何かが)、全然反応してくれない。私は、もっとこうなんか、人間の本質的な部分の躍動を感じたい。自分の命を燃料にして、「うおおおおああああああ!!!!」みたいな瞬間を見たい。これは所謂、男子特有の考え方なのだろうか。男子なら分かってくれるのだろうか、それとも男子でも分かってはくれないのだろうか。まあいいや。

 

基本的に、自分もお金も『好きなひとのため』に使いたいと思っている。貢ぎ癖がある訳じゃない。ただ、好きな友達がお金に困っていればいくらでもあげたいと思っているし、好きなひとから頼み事をされたら引き受けたいと思っている。年末には、祖母からお店の手伝いをして欲しいと頼まれた。私は、祖母が好きなので手伝う。自分もお金も、好きなひとのために使ってなんぼだと思う。逆に、自分が嫌だな~と思うひとやことには1円も払いたくない。別にケチだなと言われても構わない。そんなもののために、自分もお金もあるんじゃないよと思う。

 

お金とは何なんだろう。私は、大学から逃げていた間に、岡山県にある農家の家の手伝いを無給でしたことがある。なぜ、そんなことをしたのだろうか。こんなことを言うとアレかもしれないけれども、多分『責任』を負いたくなかったのだと思う。労働者と雇用者の間に『金』が介入してくると、双方に『責任』が発生する。労働者には「金をもらっているからちゃんと働かなくてはならないという責任」が、雇用者には「働いてもらっているのだから金を払わなければならないという責任」が発生する。ところが、もしもそこに『金』が絡んでこなかったらどうだろうか。労働者は「働きたいときに働ける」という身軽さを手にすることができる。雇用者は「金を払っていないのに(労働者が働きたいと思ってくれた時は)働いてくれる」みたいな感じで、なんだか得をした気分になる。

 

これを世では『ボランティア』と呼ぶのだろうか。しかし私は、『ボランティア』とは言いたくない。変なことを言うが、ボランティアと言うことによってボランティアにしかならない気がする。限定をすると限定される。限定することはダサいと思う。ここら辺のことは伝わりづらいと思うが、私は『ボランティア』を超えたい【限定されているものを超えたい】と(まあアホなことを)思っている。

 

 この世では、金を否定すれば(自分も含めたこの世に生きる)人間を否定することになるだろうと直感的に感じているので、金を否定することはしない(そんな大それたことを言う勇気がない)。事実、現代では金があった方が何かと便利だ。しかし「そもそもで金がつくられたから大事なものが疎かにされている」みたいなことは思っている。上記のように、金があるから労働者と雇用者が生まれ、そこに上下関係的なものが生まれる。しかし、金が絡んでこなければ、そもそもで労働者や雇用者はなくなり、途端に人間と人間のやり取りが露わになる。私は多分、金のやり取りではなく、人間と人間のやり取りがしたいのだと思う。

 

金がもらえるから働くのか、それとも金以外の何かのために働くのか。私は、『自分の好きなひとのため』とか『それをやりたいと思った自分のため』に働きたい。特に物欲とかも無いので、金がもらえないとしても何ら問題はない。自分も金も、好きなひとのために使ってなんぼだと思う。

 

結局、生きづらいなと思っている。もしかすると、私が抱える生きづらさの根元は『物欲がないということ』にあるのだろうか。とにかく、物欲のない人間にとって、現代は非常に生きづらい。物欲のない人間がおかしいのだろうか。それとも物欲のない人間が生きづらい現代がおかしいのだろうか。別にまあどっちでもいいんだけど、できることならば私は、物欲のある人間もない人間も、遊んで暮らせるユートピアがいいでござる。