自意識が過剰である。

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ちょっとした自慢話みたいになるけれども、「字が綺麗だね」とよく言われる。習字を習っていた訳ではないので、これがちょっとばかり嬉しい。友達や先生、バイト先の店長に至るまで、本当にいろいろなひとから、字を褒めてもらうことがある。幼い頃から字を書くのは好きだった。小学生のとき、新しい漢字ドリルをもらうと興奮した。夏休みの宿題として毎年出される漢字ドリルの写経は、何よりも早く、誰よりも早く終わらせるほどだった。その後も学年が上がるにつれて、学校の授業があまりにもつまらなかったものだから、ひたすら綺麗な字を書くことだけに集中していた。すると、いつの間にかいろいろなひとから自分の字を褒めてもらえることが増えた。ので、つまらない授業を受けている時は、字を丁寧に書こうと心掛けることをオススメします。したら自ずと、丁寧さみたいなものが、言葉や所作に表れてくるような気がせんでもないです。

 

 

自意識を消したい。

こんなことを言うとアレかもしれないけれど、私は極めて自意識のアレが、ちょっとアレ、過剰である。どちらかと言うと、他人に見られているというよりかは、常に自分が自分を見ているような感覚に駆られる。嫌なことを嫌々やっていると、「そんなもんはやくやめてしまえよ」と自意識が囁いてくる。嘘をついている人を見ると「嘘ついてんじゃねえよとコイツにはっきり言ってしまえよ」と自意識が囁いてくる。自意識は、常に私を見ている。そして自意識は、(良くも悪くも)常に本音を語る。暴走した自意識に呑み込まれてしまうと、最悪の場合自殺をすることになるが、自意識が自分の本音を語るエネルギーを与えてくれることもある。が、どちらかと言うと、私は自意識を消したい。何かに没頭している時、「最高だな~」と思える瞬間を過ごしている時、自意識が消えている状態になる。同時に心の扉的なものも解放されて、「ふぉおおおおおおおお!!!!」みたいなことになる。

 

 

自意識を消すには。

では、自意識を消すにはどうすればいいのだろうか。好きなことややりたいことをやればいい、と言葉で言うのは簡単だ。巷では「やりたいことを仕事に!」とか「やりたいことだけをやる!」みたいなフレーズが横行しているけれども、やりたいことが特にない私にとって、それは異次元の話となる。自意識が消えていると思ったとき、自分は一体何をしていたのだろうかと振り返ってみると、まず最初に『遊んでいるとき【身体を動かしているとき】』が頭に浮かんだ。遊ぶということは、多分、子供になるということだと思う。遊んでいる子供たちが、いちいち自意識がどうのこうのと考えるだろうか、いや、考えない。ヤツらは、ただ、遊ぶ。意味も無く飛び跳ね、謎に奇声を発しながら、突然走り出したりする。自意識が介入する余地がない。ヤツらは、最強だと思う。

 

そしてもうひとつ浮かんだのは『死にに行くこと』だ。これは少しばかり大袈裟なので他の言葉で言い換えてみると、『自分の男の子的な部分を呼び覚ます』とか『俗世からの離脱』とかになる。便利で快適過ぎる現在の生活からは一旦離れ、自然の中に身を投げ出す。すると、寝床を確保する。薪を拾う。火を起こす。米を炊く。など、人間の基本的な生活に没頭することができる。同時に、自分の中に宿る男の子的な部分が呼び覚まされ、自分は生きているのだということを痛烈に実感する。この瞬間まさに自意識は消えている、と思われるのだが、やはりこれらは瞬間的なものであって、常に自意識を消すというのは不可能なことなのかもしれない。結局、自意識を消すなんて不可能なのかもしれないというところに着地する。ああ、やはりこれからも、自意識との戦いは続くのだと思う。

 

 

自意識が暴走するとき。

成人式や同窓会には行かない予定でいる。というか、行けない。人が大勢いる&立ち話のオンパレードであることを想像すると、一万%疲労で倒れる。自分の身は自分で守りたい。別に、成人式や同窓会は時間の無駄だ!つまらない!という類の否定をしたい訳ではない。行きたいひとは行けば良いし、それを楽しめるひとだっているのだろう。ただ、自分には無理だ。というだけの話である。成人式や同窓会や飲み会など、とにかく人が大勢集まる場所に行くと、基本的に喋ることができなくなる。結果、周囲に良くない影響を与えてしまうことが多い(特に飲み会などでは、周囲と同じテンションを強要されることが多く、いろいろなひとから謎の気遣いを受けることが多い)。そんな自分を責め始め、そんな自分が嫌になり、自意識が暴走して呑み込まれそうになる。

 

 

自意識は「そのままで」と言う。

コミュニケーションは、一対一が望ましい。多くても、せいぜい4人だと思う。4人でも半ば瀕死の状態、4人を超えると南無阿弥陀仏。人が大勢いる中で交わされるコミュニケーションは、なんというのだろうか、薄い。コミュニケーション濃度的なものがあるとするならば、限りなく薄いのである。私は、そのような環境に置かれてしまうと「別に今、ここに自分が居る必要はないな」みたいなことを思ってしまう。

 

「これは私だけが思っていることなのだろうか」ということを頻繁に思うのだが、みんな(大勢が集う飲み会とかを)平然とやってのけているようにも見えてしまって、ちょっとアレ、疎外感に追いやられて、軽く死にたくなることがある。これは自分がおかしいのだろうか。それとも、みんな何かしらの我慢をしながら、それでいて平然な顔をしつつも、内心どこかで私と同じようなことを思っていたりするのだろうか。わからん。マジでわからんけれども、自意識は私に「そのままで」と言っている。

 

成人式とか同窓会に参加するかしないかの場面で、私は『自分に嘘をついて進む』か『自分に正直になって逃げる』かの二者択一に迫られた。私の自意識は、後者を選べと言っている。『嘘をつきながら進むと必ず破滅する。それならば正直になって逃げろ』と言っている。破滅とまでは行かなくとも、自分の中の何かが確実に濁っていくぞと言っている。この何かとは何なのか、そんなことは知らん。そんなことまでは知らんけれども、自意識は私に「そのままで」と言っている。

 

 

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嘘をついてまで挑戦はしない。