自分は自分の美しさを守り抜くこと。

 

最近、自分に言い聞かせていること。

 

 

 1:その人の、その瞬間の温度を常に見守ってあげること。

常に明るい人間なんていないし、常に暗い人間なんていないと思う。いつも明るく振舞っている人にも静かな瞬間は必ずあるし、いつも静かでいる人にも明るい瞬間は必ずある。「あの子はいつも明るいのに、あの人といる時はどうして静かなんだろうね…」とか「あの人はいつも静かなのに、この人と一緒にいる時はどうしてあんなに明るいんだろう」とか、そういう周囲の声に惑わされてはいけないのだと思う。常に明るく振舞う必要もなければ、常に静かでいる必要もない。無理をして笑う必要もなければ、強がって黙り込む必要もない。その人の、その瞬間の温度を常に見守ってあげられる人が、多分、『優しい』のだと思う。

 

 

2:目の前の『人間』と話をすること。

(ヒッチハイクなどで)初対面の人と話をする時、多くの人は自分を表面的なものでコーティングしようとする。「この人には嫌われたくないから常に笑っておこう」とか「この人には良く思われたいから自分の凄さをアピールしておこう」とか、そういう雑念に支配されてしまった時、ひとは愛想笑いをしてみたり、明らかに高過ぎるテンションで話してみたり、学歴や職業や所有物を誇ったりする。私は、その人に覆いかぶさる諸々の薄っぺらいものにはまるで興味が無い。興味が無いどころか違和感を覚える。「コイツは何かを誤魔化しているな」と、「私は、今、嘘をつかれているな」と思うことがある。私は、何かを誤魔化しているなと感じる人の言葉には、まるで反応することができない。嘘をついているなと感じる人の言葉には、(どう反応すれば良いのかが分からなくて)返す言葉が一つも無い(故にコミュ障患者みたくなってしまう)。私は常に、目の前の『人間』と話がしたいと思っている。

 

 

3:『静』と『動』があるということ。

ひとの内面には『静』の部分と『動』の部分があると思う。私は、『静』の部分に、その人の本質は宿る気がしている。静なる自分でいるときに、ひとは落ち着きを取り戻し、その人はその人でいることができる【エネルギーは回復をする】。逆に、動の自分である時は、ひとは活力に満ち溢れ、周囲の人を明るく照らすようになる【しかしながらエネルギーは消耗をする】。

 

初対面の人と話をする時、多分、静の自分で行くか動の自分で行くか【エネルギーを使うか使わないか】の二者択一になる。私は思う。おそらくコミュニケーションにエネルギーは使わない(静の自分で行け!)と思う。同世代間のコミュニケーションでは、なんというか、序盤から動の自分で殴りこみに行っている【エネルギーを消費しまくっている】ような印象を抱く。

 

エネルギーが尽きることなく、その人との関係性をある程度のところまで持って行くことができれば、そこでようやくエネルギーの回復【動の自分から静の自分】に移行することができるが、もしも途中でエネルギーが尽きてしまった場合には、「あの子はいつも明るいはずなのに…」みたいなことになる。

 

 

 

 4:『静』の自分で行くこと。

いつ尽きるか分からないエネルギーを消費しながら、ゴールの見えない道を走り続けるのはしんどいと思う。ある程度の関係になるまでは常に自分が明るく振る舞わなければならない関係性は辛いと思う。私は、序盤から動の自分で行くよりも【エネルギーを消費し続けることよりも】、静の自分で行く【序盤はエネルギーを使わずに行く】方が、その人との関係性を滑らかに構築することができるのだと思っている。

 

始めから静の自分で接すれば(始めから己の弱さを晒していれば)、無理をする必要もなく、取り繕う必要もなく、頑張る必要もなく、嘘をつく必要もなく、見栄を張る必要もなく、表面的なものを身に付ける必要もない。笑いたい時にだけ笑い、話したい時にだけ話し、楽しみたい時にだけ楽しむことができる【エネルギーは使いたい時にだけ使うことができる】。

 

もしかしたら、それは嫌われるのかもしれない。ひょっとすると、それはダサいのかもしれない。しかし、自分を擦り減らすことで維持される関係性であるならば、私は、そんなものはいらないと思う。

 

 

 

5:自分は自分の美しさを守り抜くこと。

私は、始めからアクセル全開の人とは、うまく関係性を築けないことが多い。その人の本質は『静の部分』に宿るのだと思っている。私は常に、その人の本質を掴みたい。その人の静謐な美しさを見た後に、その人の動的な躍動を見た時、私は、『この人は良い感じの雰囲気だな』と思うことができる。

 

空間に一人でも無理をしている人間がいた場合、その空間は次第に腐っていく気がする。私は、腐っている空間に居たいとは思わない。腐った空間にいるくらいなら、一人でいる方が遥かにマシだ。そのひとがそのひとでいられない関係性、誰かが一人でも無理をしている空間とは、距離を置かなければならない。でなければ、そのひとがそのひとであることの美しさは簡単に損なわれてしまうのだと思う。

 

 

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強さとはなんだろうか。喧嘩が強いことなのだろうか。自分を犠牲にして誰かを救えることなのだろうか。誰かの不正を正せることなのだろうか。多分、それも強さなのだと思う。しかし本当の強さとは、どのような人と接していても、どのような状況に置かれたとしても、常に自分が自分でいられること【自分で自分の美しさを守り抜けること】なのだと思う。