無理をする必要はない。取り繕う必要はない。頑張る必要はない。嘘をつく必要はない。見栄を張る必要はない。表面的で薄っぺらいものを身に付ける必要はない。

 

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 和歌山県最南端の『潮岬』というところまで行けたらいいなあ、そこで美しい夕日を眺めながら野営ができたらいいなあということを思いながら(方角だけを書いて)ヒッチハイクをしていたが、見事に行くことができなかった。1日目は和歌山県の圧倒的北部にある岩出市の川沿いに、2日目は同じく圧倒的北部にある和歌山市の海岸沿いにテントを張ることになった。しかし景色の方は素晴らしかったので、ここで共有したいと思います。

 

 

物よりも人。

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私は、自分でも驚く程に物欲が無い。ブランド物にはまるで興味が無いし、服にもアクセサリー類にも一切こだわりは無いし、高級な車に乗りたいとも思わないし、豪華な家に住みたいとも思わない。物に対する興味よりも、人に対する興味の方が強いのかもしれない。この人はどういうことを考えているのだろうかとか、この人はどういう悩みを抱えているのだろうかとか、この人はどういうことを経験してきたのだろうかとか、私は、そういうことに興味がある。

 

 

表面的なものを誇らないで欲しい。

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「一流大学を出ています」とか「〇〇のブランドのバッグ持ってます」とか「高級車の〇〇に乗ってるんだ」とか「昔はウン十万のスーツ着てたんだよ」とか、そういうことを言われても、私は、まるで反応することができない。「お、おう…」としか言いようがない。それを言うことで己の価値(みたいなもの)を上げようとしているのかもしれないが、かえって己自身の空っぽさを露呈してしまっている。私は、そんなことよりも、その人自身【生身の人間】に興味がある。

 

 

あらゆる上下関係を否定したい。

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年上だから年下に偉そうな態度をとってもいいのか。年上だから年下に命令をしてもいいのか。年下だから年上にこびへつらうのか。父親だから尊敬しなければいけないのか。先生だから何でも言うことを聞かなければいけないのか。上司だから、部長だから、社長だから自分の意思を押し殺してまで従順でなければいけないのか。私は、あらゆる上下関係を否定したい。年上である以前に、父親である以前に、先生である以前に、お前も一人の人間なのだから、いつまでもそんな高いところから話してこないで降りて来いよと、そういうことを思うときがある。そして、いつまでも高いところから話してくる人には、反骨精神を剥き出しにして中指を思いっきり突き立てたくなる。その姿はまさしくクソガキ。

 

 

人間社会に溶け込むと病気になる。

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動物は、本来、病気にならないのだと聞いた。病気になるのは、人間社会に溶け込むからであり、人間はもちろんのこと、ペットとして飼われている動物や、動物園で飼育されている動物などは、人間社会に溶け込むこと(溶け込まされること)によって病気になるのだと言う。私は、なるほど!と思う。人間社会を生きる上でのしかかってくるストレスというのは半端ではないのだと思う。病気というのは『気の病』であると言うがその通りで、自分の『気』というものを濁らせてはいけないのだと思う。

 

 

現代人は、現代に適応していない。

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我々の祖先ホモ・サピエンスと現代人は1%しか遺伝子の変動がない、みたいなことをドライバーさんから聞いた。私は、なるほど!と思う。だから病気になるのか!と思う。原始時代から何万年も経過してきたにも関わらず、ホモ・サピエンスと現代人は1%しか遺伝子が変わらないにも関わらず、現代人はホモ・サピエンスと比べるとありえないぐらい便利で、ありえないぐらいの集団を形成し、ありえないことだらけの環境で生きている。現代人は、あろうことか、現代に適応できていない。遺伝子からしてみれば「ちょ、それまだ適応できてねぇよ…」となり、甚だ迷惑な話となる。鬱病や自殺などは、現代人が現代に適応できなかった典型であり、末路である。

 

 

動物的でない動物は早死にする。

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朝ごはんをしっかり食べましょうとか、一日三食の健康的な生活を!みたいなことをよく耳にするが、私は、そうは思わない。人間の身体というのは非常によくできていて、一日一食でも身体は元気に動いてくれる。事実、今回の移動初日の夜は米と塩だけであったが、その翌日は普通に元気だった。両親に健康な身体を授かった瞬間から、人間はそう簡単に死ぬようにはできていない。私は、腹が減ったときに食うというのが、人間的であり、動物的であると思う。事実、百獣の王ライオンも、腹の減っていない時は何も食べないと聞く。一日三食食べなければいけないという理由で食べ物を無理やり腹の中に押し込むと、それは、身体の中に『余計な物』を取り入れるということになる。余計な物を取り入れた結果、腹が出て、動きは鈍くなり、(一種の動物である)人間は動物的ではなくなる。この世の摂理として、動物的でない動物は早死にするのだと思う。

 

 

寂しさを紛らわす方法は『人と話をする』『共感する(してもらう)』『美しいものに触れる』

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人は何をしていても結局は寂しいんだな、と思うことが頻繁にある。なんだか、全部、その寂しさを紛らわせているだけだよなと思うとき、「生きていてもつらいな」ということを思ってしまう。ハムスター(もしくはうさぎ?)は寂しくなると死ぬと言われているが、寂しくなると死ぬのは、人間も同じだと思う。寂しいから群れるのであり、寂しいからこうしてブログを書くのである。明らかに高すぎるテンションの集団を見ていても「こいつらは寂しいんだな」と思ってしまう。その場しのぎの会話をしてくる人を見ると「お前も寂しいんだよな」と思ってしまう。「めっちゃ分かる」と思ってしまう。「めっちゃ分かる」とは思うけれども、私は、表面的な人とのつながり、表面的なコミュニティ、表面的な会話でその寂しさを紛らわしたいとは思わない。寂しさを紛らわす方法は『人と話をする』『共感する(してもらう)』『美しいものに触れる』以外に、一体何があるのだろうか。そして、これらよりも大切なことが、他に一体何があると言うのだろうか。

 

 

通りすがりのおばちゃんからえびを頂き、蒸して食べた。

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 ついでに何故か餅をもらい、朝っぱらから餅を食べた。

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無理をする必要はない。取り繕う必要はない。頑張る必要はない。嘘をつく必要はない。見栄を張る必要はない。表面的で薄っぺらいものを身に付ける必要はない。そういうものを全部取っ払って、生身のその人自身の考えや生き様や言葉に触れた時、私は心の底から「お前さんは最高だな!」ということを思う。