やりたいことがないからと言って、それがやりたくないことをやらなければならない理由にはならない。

 

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雲一つない快晴の中、清々しく授業をサボる。iPodで音楽を聴き、ポケットWiFiとiPhoneとムーミンの本を携帯してCarryMeに乗り、海岸沿いまで走る。波の音をBGMにムーミンの本を読んでいると「俺は調子に乗っているな」ということを思う。しかし、この調子に乗っている感じが心地良い程に最高で、久々に素晴らしい日を過ごしたなと思うことができた。最近は何かとダメな日が続いていて、自分でも腐っていっている感覚があった。やはり、移動をするとリフレッシュされる。近場であっても、普段行かないような場所に行ってみると、胸のあたりがジュワ~っと広がっていくような感じがして、自分の内部に沈殿していた腐敗臭が見事なまでに取り除かれて行く感覚を覚える。

 

 

良いお金の使い方を。

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読書の秋です。ブックオフでムーミンシリーズの本を一気に買い揃えました。9冊で合計3000円程度で、久々に良い買い物ができたなと思うことができ、それだけで物凄い幸せな気持ちになりました。友達から「お前はスナフキンみたいだな」ということを言われ、「スナフキンって何?」というところから始まり、ムーミンに行き着いた次第です。スナフキンという名前は知らなくても、スナフキンのキャラクターは見たことがあり、ムーミンの話は知らなくても、ムーミンというキャラクターは見たことがあったので、スナフキンとムーミンが同じ物語のキャラクターであったことに驚愕しています。

 

学校でお昼ご飯を買う時や、自動販売機で何気なくジュースを買う時などは特に何も感じていないのですが、ムーミンの本を買う時は物凄い胸が躍っていて、なんというか、自分でも『良いお金の使い方をしている』ということを思いました。やはりお金の使い方はかなり重要で、部活やサークルの飲み会、職場の人の顔を立てるためなど、自分でも納得のいかないままお金を支払い続けてしまうと、お金に対してどんどん卑しくなる気がします。当たり前のことですが、「これにはお金を払いたい!」と思えるものにお金を払うことが重要で、「これには別にお金を払いたくないな」と思ったものにはお金を払うべきではないのだと思いました。

 

 

惰性でやると感覚を失う。

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私の場合、惰性で飯を食べてしまうと味とカロリーが消失します。惰性では何を食べても美味しいとは思えず、惰性で大量の飯を食っても体重は全く増加しません。何事も惰性でやってはいけないのだと思います。惰性で何かに取り組んでいる時の自分は、人間というよりかは機械に近い存在で、完全に感覚を失っている気がします。

 

街に出てみると、人間というよりも機械に近い人がいっぱいいるなーと思うことが頻繁にあって、本当に楽しそうに仕事をしている人間は、一体どのくらいいるんだろうかということを思いました。機械になることが大人になるということならば、私は、大人になりたいとは思いません。惰性で何かを取り組むことが仕事であるならば、私は、仕事をしたいとは思いません。大学講師(特に必修言語科目の非常勤講師)を見ていると「コイツは機械だな」と思うことが頻繁にあって、そういう機械の授業を受けていると露骨に態度に出てしまい、「お前はそこまでして金が欲しいのか【お前は金の亡者だな】」ということを思います。クソガキの私としては、そういう大人を見てしまうと軽く将来に絶望してしまうので、恐縮ではありますが、子供達の最前線に立つ教育者としては『いかにも楽しそうな大人』が適任であるように思います。

 

 

やりたいことがないからと言って、それがやりたくないことをやらなければならない理由にはならない。

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無数の選択肢の中から、何をやりたいのかを考えるからわからなくなるのだと思います。何をやりたいのかを考えるのではなく、自分はどうありたいのか【自分はどうありたくないのか】ということであれば、漠然と掴めるような気がします。私は『クソガキのままでありたい』と思っていて、今の大人を見ていても楽しそうに仕事をしている人達は僅かだな【何かを我慢しながら仕事をしているな】と思うことが多く、なんというか、将来にはマジで不安しかないので、どうせならクソガキのままで行こうと、そういうことを思いました。

 

「やりたいことがない」とか「何をしたらいいのかわからない」とか、そのようなことを叫んでいる若者は(自分も含めて)大量にいると思うのですが、ここで一旦冷静になって、「自分は将来どうありたいのか」ということを考え、そして「自分は将来どうありたくないのか」ということを考えます。すると私の場合「楽しくなさそうな大人にだけは絶対になりたくない」ということを思い、そして私は「公園ではっちゃけ回っているクソガキになりたい」ということを思いました。多分、『やりたいこと【こうなりたい!】』は人によって違うけれど、『やりたくないこと【こうはなりたくない!】』であれば、基本的に皆の意見は一致するのだと思います。一番やってはいけないことは、『やりたいこと』がないからと言って、『やりたくないこと』を(周囲の圧力に負けて)やってしまうことであり、『やりたくないこと』を続けてしまった結果、感覚を失った機械へと変貌し『人間性』が死ぬことだと思います。【やりたいことがないからと言って、それがやりたくないことをやらなければならない理由にはならない】。私はそういう風に考えています。

 

 

 なんだか、私の言っていることは当たり前のこと過ぎて「俺は何を言っているんだろう」と思うことがあるのですが、年齢を重ねるにつれて、大人になるにつれて、その当たり前が疎かにされている場面が多いように感じています。「大人になるということは我慢をすることだ」とか、「そんなことも耐えられないお前はガキだ」とか言われることもあると思うのですが、私としては、「そんな大人になることよりもクソガキのままでいたい」というのが本音であって、大人であることを求めてくる大人と、クソガキのままであることを貫く自分とは、なんというか、戦っている土俵が違うなということを思いました。

 

 

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