嵐のあとの朝日が超絶綺麗だった。

 

外野のノイズをかき消すために、爆音で音楽を聴いている。私は、音楽を音として聴いている節がある。周囲の雑音をかき消すために爆音で音楽を聴いていると、何故か、音の無い世界に行くことができる。自動車のエンジン音、人々の話し声、吹き抜ける風の音、自分の足音、それら全てを遮断し、爆音で音楽を聴いていると、意識と身体が分離して、そして、意識と身体が一致する。これは面白い。爆音で音楽を聴いているにも関わらず音の無い世界に行くことができ、意識と身体が分離しているにも関わらず意識と身体が一致する。周囲の雑音をかき消すために聴く音楽は、良い感じの音が良い感じのリズムで奏でられていればそれで良い。私にとって、歌詞はそれほど重要ではない。言葉には限界がある。人工的な雑音に晒されながら歌詞を聴いていると『言葉の限界』というものを痛烈に感じてしまって、なんというか、「もったいないな~」と思うことが多い。強いて言えば、歌詞が力を持つのは夜だ。夜に、静かな環境で聴く歌詞は、極稀に身体に深く染み渡ることがある。

 

 

 

 お前はどのように生きるのか。

  私の住む地域では、祭りが行われます。年に一度、各町自慢の豪華絢爛な屋台が神社に集結して練り合わせをするのですが、今年はちょうど台風21号が直撃をして、大雨で突風が吹き荒れる中、各町強行突破をすることになりました。上半身は半袖、ケツは丸出し、寒さで身体は小刻みに振動し、気力と体力が急速に奪われ、次第に意識は朦朧としていくなか、私は道中「これは死ぬな」と何度も何度も思ったのですが、祭り後は意外にもケロっとしている自分がいて、今もなお生きている自分に内心驚愕しています。

多分、『生きること』は、両親から健康な身体を授かった瞬間からクリアできているのだと思います。寒さにブルブル震えながら朝から晩まで町内を歩き回っても、意外にも身体は元気に動くのだから、『生きること』は比較的イージーなんだなということを思いました。重要なのは『生きること』ではなく『どのように生きるか』であり、自分が「これは最高だな」と思える瞬間をどのくらい過ごせているかなのだと思います。このご時世「お前はどのように生きるのか」と、常に自分に問うていかなければ、実態のない周囲からの圧力や外野のノイズに惑わされることは多いです。

 

 

 

 俺はなんて未熟者なんだ。

 コミュニティに混ざると「自分は本当にクソガキだな」と思わされることが頻繁にあります。最近は、祭りの準備などで地域の人達と協力する場面が多かったのですが、いろいろと頑張って準備してくれている周囲の人達を見て、「ああ、俺はなんて未熟者なんだ…」と思わされることが多くて、なんというか、一人で勝手に拗ねていたことがありました。やりたくないこともやらなければならないし、苦手な人ともコミュニケーションしなくてはいけないし、しんどいなと思っても耐えなければならない。「俺にはこんなこと絶対に出来ない……!!!」と思うことが多く(今も若干絶望していて)、そして、自分には絶対に出来ないことを平気でやってのける人を間近で見ては、純粋に「スゲーな……!!」と思う日々の連続でした。

コミュニティ内でふと「(周囲にうまく溶け込めない)自分はクソガキだな」と思うことの中には、『このままではいけない!』という感情と『このままでいい!』という感情がぐちゃぐちゃになっていて、こういうことを考え始めると私は非常に疲れてしまいます(ので考えないようにしている)。しかし、一つだけ確実に言えることは『無理をしてはいけない』ということです。コミュニティを意識し過ぎるあまりに無理をして自分の中のクソガキを押し殺してしまうと、いつの間にか周囲に助けを求められなくなって自分自身が破滅し、逆に自分の中のクソガキが調子に乗って傲慢な態度をとり始めると、次第にコミュニティが崩壊へと向かう。ここら辺の精度を高めていきたいなあとは思っているのですが、なんだかもう、愚生に為す術は無し!というのが現状であります。

 

 

 

瞬間美

祭りで生命の危機を感じてから、食欲が暴走をしています。私の脳が「お前はもっと食っとけ」と言っています。生命が脅かされる程の苦境に立たされている間はどうしようもなくつらいけれど、それを乗り越えた後の生命活動には、これまでにない活力で満ち溢れるようになります。私はこの『波』のような感覚が好きで、平和ボケをしていると猛烈に死にたくなることがあるのですが、いざ「やばい!これは死ぬ!」くらいに追い込まれると生きたくなる傾向にあります。

幸せも長続きすると退屈になり、不幸が連続すると幸せを求め、不便に嘆いては悪態をつき、便利に慣れると傲慢になる。当たり前が有り難くなった瞬間に感動を覚え、死にたいと叫んでは生きたいと願う。多分私は『継続的なもの』が苦手で『瞬間的なもの』に惹かれるのだと思います。瞬間的なものにはその瞬間にしか味わえない美しさがあり、私は「この瞬間は最高だな」と思えることをゴールにしています。

 

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先日見た朝日が超絶綺麗でした。雨が続き、嵐の後に力強く輝く朝日を見て、私はすんんごい感動をしました。「お前はどのように生きるのか」とか「俺はなんて未熟者なんだ…」とか、いろいろなことを考えてしまって疲労を覚えることは多いのですが、最終的なゴールは「この瞬間は最高だな」と思うことであり、私は、過去でもなく未来でもなく、今目の前にあるこの瞬間に美しさを見出したい。過去には後悔することばかりで、未来にはどうしようもない不安しかない、そんな私の唯一の救いが今現在この瞬間にある美しさであり、愚生に残されているものはもうそれだけなのだと、そういうことを思いました。