「これは最高だな」と思える瞬間を過ごす。

 大学講師を観察している。『教授』と呼ばれている人たちは比較的楽しそうに話をしている傾向にあるが、基本的に『臨時講師』と呼ばれている人たちの目は死んでいて、ひどい場合には「お前、そこまでして金が欲しいか?」と思うことがある。「コイツは適当な笑顔を浮かべているな」と思うことがある。「コイツは金の亡者だな」と思うことがある。そして、「こんなことを考えてしまっている自分は本当にクソだな」と思うことが頻繁にある。

 

 

自分で自分を限定するのはダサい。

ホワイトボードには方角のみを記入し、目的地はドライバーさんにお任せするという奇行を繰り返していた時、「私はヒッチハイカーです」とか「私は旅をしています」とかなんとか格好をつけて言っていたけれど、なんかもうそういうのはダサいなと思うようになりました。そういうことを言えば言う程、本当の自分からは遠ざかっているような気がして、肩書きと自分との間にぽっかりと空洞が生まれるような感覚を覚えました。お土産を買える程潤沢な資金も無く、「ここに行きたい!」と思うような特別な願望があった訳でもないので、私の奇行は、所謂『旅行』とか『旅』みたいなカテゴリーには属さない気がします。正直なところ「私は旅などというそんな大それたことはしていない」というのが本音であり、私がしていたのは、ただの『移動』でしかありません。が、その『移動』は、時として『旅行』という性質を持ち、時として『旅』という性質を持つことがありました。

多分、最も愚かなことは、自分を限定してしまうということで、別に卑屈になっている訳ではないのですが、ただの『移動』を『旅』だとかなんとか言っていた自分を今、猛烈に恥じています。自分で自分を限定するのはダサい。

 

 

表面的なものからは何も伝わってこない。

一流大学卒だとか、大企業に就職しましたとか、そのような表面的なものよりも、その人がどういう人間なのか【どういう考え方をしていて、どういう生き方をしていて、どういう悩みを抱えていて、どういう人や物を愛しているのか】の方が遥かに重要な気がします。表面的なもので自分をいくらコーティングしても、その人がどういう人間なのかというのは、生身のその人自身から伝わるものなのだと思います。

お洒落に着飾って自己表現をしようとか、語彙力をつけて自己表現しようだとか、そんなものに惑わされてはいけないのだと思います。服が自分を表現するのではなく、言葉が自分を表現するのではなく、服を愛している自分が自己を表現するのであり、心の込もった言葉を使う自分が【己】を表現するのであって、常に自己を表現しうるのは生身のその人【己自身】なのだと思います。表面的なものからは何も伝わってこない。

 

 

 

『好き』に優劣はない。

同じ専修の友達(?)が「私は音楽が好きなんだけど、ある日他の人が『この楽器の〇〇なところが良い!』とか『この楽曲の〇〇なところが凄いよね!』的なことを言っているのを聞いてしまって、そういうことが全然言えない私って、もしかしたら音楽のこと別に好きじゃないのかもしれない」みたいなことを言っていて、私は「ん?それは違うんじゃないか?」と思いました。

 

「他人の発言がそれっぽい」とか「いい感じのことが言えない自分はダメだ」とか、どうしても周囲の人と自分を比較してしまって、なんだか弱気になってしまう気持ちは充分に分かるのですが、しかし、何よりも重要なのは、自分が今やっていることの中に「これは最高だな」と思える瞬間があるかどうかであり、何度周囲の人と自分を比較して挫けそうになったとしても、「これは最高だな」と思える瞬間が一瞬でもあれば、人は何度でも立ち直れるのだと思います。

自分の軸がブレ続けていると、実体の無い周囲からの圧力【世間体とか常識とか他人からのアドバイスとか】に惑わされて、自分の『好き』を見失うことは多いのですが、そういう時こそ『好きなことをする』『好きな人に会う』『好きな時間を過ごす』ことで自分の軸は修正されていくような気がします。大前提として、『好き』に優劣は無い(と思う)。

 

余談になりますが、私は、漠然としたもの【自分の直感が「これは良い!」と思うもの】が案外絶対性を持っているんじゃねーかと思っていて、「こうこう、こういう理由があるからこっちの方が良い」とか「こういう根拠があるからこっちの方が良い」とか、(自分の中にはない)自分以外の何かを判断材料として持ち込んできてしまうと、それ【理由とか根拠】が無くなった途端に、自分の進んでいた道が一瞬にして崩れ去ってしまうことがあるのだと思います。自分の直感を信じることが重要で、自分の直感を信じることのできる強さを養いたいと思いました。

 

 

そろそろ移動&野営をしないと精神的にヤバい気がするので、11月上旬に短期間で移動をする予定を立てた。どこに行くかは全く決めていないけれど、移動できたらどこでも良いと思っている。同じ場所を何度も行き来していると死にたくなることがある。とにかく移動して、野営をして、スッキリしたい。ルーティーンと呼ばれているものをぶち壊したい。習慣と呼ばれているものを破壊したい。つまらないことを繰り返す人生は、もう、この贖罪の期間で終わりにしたい。