大人が『ボケ担当』ならば、子供は『ツッコミ担当』

私は現在、「この世に生まれてきてしまった」というあまりにもイノセント過ぎる罪を償っている。しかしこの贖罪の期間に私は半分絶望しながらも、半分は楽しんでいる自分がいる。最近は何かとイライラすることが多いが、「大丈夫だ、俺はまだまだやれる。」と、内側から漲る謎の根源的なエネルギーに支えられ今日という日を生きている。体重はとうとう50キロを切った。私の身長がだいたい2メートル弱なので、これは適正体重といったところだろうか。おかげ様で、体調が頗る良い感じである。(と、ちょっと暗めな導入となりましたが、このブログは基本的にギャグです。重く考えてはいけません)

 

 

自分の反骨精神に笑う。

このお話はちょっとギャグ的な要素が強いのですが、私の地域では一年に一度『祭り』という行事があって、それを盛り上げる若者のコミュニティがあるのですが、そこで最近「パーカーを作ろう!」みたいな話題が上がりまして、「でもこれは強制じゃないよ、作りたい人だけでいいよ~」的な雰囲気を帯びていたので、「ちょっと今はお金ないし、そもそもお金払ってまでパーカー欲しくないな」と思った私は作りませんでした。

けれど後日、そのコミュニティの集まりに行くとメンバーのほとんどがパーカーを着てて、そこで必然的に「あれ?なんでお前パーカー着てねーの?」みたいな感じになってしまって、「お前もパーカー買えよ」的なことを言われてしまって、私が軽く浮いている状態になってしまったのですが、私は「え、ちょっと待って?作りたい人だけーみたいな感じだったじゃん」みたいなことを思ってしまって、なんかこう、違和感を覚えてしまったわけです。

でも、誤解して欲しくないのは『メンバーのみんなのことが嫌い』っていうことでは全然無くて(むしろ好きなんですが)、それでも私は「なんでそこで強制をしちゃうの?」ということを思いました。これって多分、私が単純に『空気の読めない生意気なクソガキ』だからだと思うのですが、しかしですね、強制をされてしまうとどうしても反発をしたくなるというか、好きな人たちなら基本的に何をされても許せるんですが、そこに『強制感』が出てきてしまうと、私はどうしても違和感を覚えてしまいます。「パーカー着れば丸く収まるじゃん」と思う自分もいるし、「なんでパーカー着てないとダメなんだ(クサいけれど俺達の関係はそんなものか)」みたいなことを勝手に思ってしまう自分もいて、なんだか非常に気持ちが悪くなります。さて、こういう時、私は一体どうすればいいんでしょうか。そう、答えはただ一つ、「パーカーを買う」

 

しかしですね、個人的にこの違和感は大事にしていきたいなと思っていて、好きな人との関係性に突如『強制』が介入してくると、途端にそこに亀裂が入るような、なんかこう、分断されるような感覚を覚えてしまいます。別にたったそれだけのことで嫌いになったりはしないんですが、なんというか、とにかく反骨精神が剥き出しになるというか、クソガキである自分を絶望的なレベルで自覚してしまい、勝手に拗ねてしまう傾向にあります。

 

 

大人が『ボケ担当』ならば、子供は『ツッコミ担当』

『大人になる』というのはどういうことなのだろうかと思うことは頻繁にあります。これまた少しギャグ的な要素の強いお話になります。私は過去何百回のもわたるヒッチハイクを通して一応色々な大人に触れてきたつもりなのですが、大きく大別をすると『全然楽しくなさそうな大人』と『めちゃめちゃ楽しそうな大人』に分かれます。前者の大人には、なんだか「意思と行動が一致してないな(軸がブレてるな)」と思うことがあって、そういう大人のほぼ10割から「今は楽しいことができて良いよね(大人になったら楽しいことなんてないよ)」的なことを言われるんだけど、私は、「いや、大人だったら自分が思う楽しいことをしてみせろよ」と、「子供の時は楽しいことができていたのに、大人になったらできてないって、それ、成長してねーじゃん、退化してるじゃん」いうことを思ってしまいました。そして「これはもしかしてギャグなんじゃないのかな」と思うこともあって、ひょっとすると(お笑いの世界でいう)、「大人が『ボケ担当』ならば、子供は『ツッコミ担当』なのかもしれない」と最近になって思い始めたので、これから大人にそういうことを言われた時は、華麗なるツッコミを入れていきたいなと思いました。

 

 

最高の教育とは『先に生まれた者が楽しそうに生きている姿を示すこと』

なんかさっきから生意気なことを垂れ過ぎてしまっている気がして非常に気が引けてしまうけれども言っちゃいます。そもそも論なんですが、目の前の子供に向かって『大人になったら楽しいことなんてないよ』っていう大人は、どうなのかなと思います。これは所謂、映画を途中で見るのを辞めた人が、まだ全然見てない人に向かって「この映画、全然面白くないよ」と言っちゃうようなもので、こちら側としましては「うるせーな、てかお前誰だよ」という物凄く基本的なところに怒りを覚えてしまうわけです。

私が思うに、最高の教育とは『先に生まれた者が楽しそうに生きている姿を示すこと』で、「楽しそうに生きている大人は、(極論何を語らずとも)その存在自体が教科書になり得るのだな」ということを思いました。

 

 

はい、今日はこれで以上になります。