なんとなく察していただけたら幸いなんですが、筆者は決して根暗ではありません。

いつからこのようなことを感じていたのかは不明だけれど、人間には頭のつむじからケツの穴を貫通して一本の棒が通っているような気がしていて、私はそれを『軸』と呼んでいます。この軸は若干柔らかめの素材でできているので、自意識とか周囲の雰囲気とか常識とかいろいろなものの影響を受けてぐにゃぐにゃと曲がることが頻繁にあるのですが、つい最近ですね、この軸が真っ直ぐにピシッと整ったような感覚がありまして、その時になんというか、物凄く胸のあたりがジュワ~って満たされたような感覚がありました(とは言っても日々何らかの影響を受けるので、この軸が常に完全に真っ直ぐになることは無い気がする。)。

 

 

この、自分の軸がブレたままでは、なんというか、自分が扱う言葉(特に声の質)からは覇気が失われ、瞳の奥には濁りが生まれ、佇まいや雰囲気には負のエネルギーが漂うような気がしていて、多分今までの自分とか特にそう思われてたのかもしれないのですが(そして今もなおそう思われているのかもしれないのですが)、一目見ただけで「あ、コイツなんか知らんけどやべぇな」と、「こいつからはなんか変な匂いがするな」と、なんかこう、直感的に感じることはあります。自分の軸がブレている時に限って、TwitterなどのSNSでネガティブな発言が連発したり、大して好きでもない人と適当な会話を交わして寂しさを紛らわせてみたり、なんだか、自分から負のドン底へと吸い込まれに行ってしまうことは多いような気がします。

 

 

この状況を断ち切るためには、『常に自分に問い続ける』ということがかなり重要な気がしていて、「今、お前は楽しめているか?」とか「今、お前はリラックスできているか?」とか、常に自分の内側(所謂心とか意志と呼ばれるもの)に問いかけて、自分の内側が示す方向に【自分の軸を真っ直ぐに整えた状態で】行動することが理想なのですが、しかしそれが超絶難しいわけですね。周囲の雰囲気とか常識に影響を受けて、「自分はこっちが良い!」って思っていても実際そのように行動することが難しいわけです。その気持ち、なんだかすんごい分かります。その時(愛想笑いをしているときとか心にもないことを言っているときとか好きでもないことをしているときとか)、まさにその瞬間自分の軸はブレブレで、なんというか、ちょっと腐敗してるような雰囲気を放ってしまうんですね(私の場合、そういうときは全く喋らなくなります)。

 

 

 

そういう時、私の場合『自意識』みたいなものが自分を殺しに来ることがあります。「良い子のフリしてんじゃねーよ」とか、「心にもねーこと言ってんじゃねーよ」とか、「嫌々やってんじゃねーよ」とか、非常に痛いところをズブズブと突かれてしまってなんだかもう死にたくなることが頻繁にあります。しかし、自意識というのはある種のサインみたいなものでもある気がしていて、呑み込まれてしまうと非常に危険なんですが(鬱病になったり、最悪自殺をする)、自意識の扱い方に慣れてくると、自意識が自分を助けてくれることは結構あるんじゃないのかなと思うことがあります。自意識とは、言ってしまえば自分の本音みたいなものなので、その本音が行動として放出された時には、それはもう凄い、快感にも似た清々しさを覚えることができます【この瞬間、まさに自分の軸は真っ直ぐに整っているのだと思います】。

 

 

 

本音を行動にして出す瞬間は怖いのかもしれないのですが、しかし、嫌われることを恐れて(世間からはじかれることを恐れて)本音を出せないままでいると、魂が腐ってゾンビみたいになることは往々にしてあるんじゃないのかなと思うことはあって、最終的には自分の意志を完全に封じ込めてしまって『自分がなんなのかわからなくなる』みたいな、「俺って何で生きてるんだろう」みたいな、「あ、そうだ、死のう」みたいなことって、別にそんな重く考えていなくても案外簡単に考えてしまっている、なんてことは結構多いんじゃないのかなと思います。

 

最近人身事故による電車の遅延に見舞われることが多いのですが、そのとき私はまるで他人事のように、「ああ、今日も犠牲者が出てしまったのか」みたいなことを考えてしまってですね、まぁ実際他人事ではあるんですが、しかし密かに、ひょっとすると人身事故の根底には「なんで自殺なんてするんだよ、迷惑なんだよやめやがれ」と思ってる俺達にも割と関連してくる重要な何かが潜んでるんじゃないかな、みたいなことを思うこともあってですね、本音を出せていない自分のまま胡坐をかいていると、本当にいつの間にか魂が腐ってて、本当にいつの間にか自殺を選んでしまってたみたいな流れが最近の人身事故なんじゃないかなって思うと非常に怖いなと思うところではあります。

 

 

 

結局何が言いたいのかと言うと、大事なことは二つ。『本音を出す自分を許すということ』と『心を込めて出すということ』

本音を出す時に心が込められていなければ、多分『憎しみ』を生むことになります。なんだかよくわからない人から表面的なコミュニケーション(心の込もっていない言葉)で絡まれた時に、何の心も込めず、たた単純に「やめろや死ね」と言い放つのではなく、「やめてください」と、「ちょっとそれ不愉快です」と、相手の目を見ながらシンプルに心を込めて伝えるということ。本音を出す自分を許し、その時は心を込めて出すということ。これが物凄く重要な気がします。本音を言うと相手を傷つけてしまう場合は多いと思うのですが、多分、傷つくことから生まれるものは確実にあります。大事なのはそこに心を込めるということで、心のこもった本音は相手に『気づき』を与えるけれど、心のこもっていない本音は相手に『憎しみ』を植え付けます。これはもうほんと、大事なことなので何度でも言いたい。『本音を出す自分を許すということ』『心を込めて出すということ』。

 『自分の純粋性を取り戻す』というと大袈裟になるけれど、自分の軸のブレを修正する時には、これは非常に有効な手法だと思います。