心を込める。

 

 ワタクシ、『朝のニュース番組はもう見ない』ということを決意しました。朝のニュース番組を見ていてもロクな事がありません。『〇〇さんが殺されました』とか『俳優〇〇不倫!』とか『〇〇議員の失言!』とか、なんだか、朝っぱらから暗い気持ちになることは多いです。「だったらもう見ねーよ」ということで、1日の始まりはやはり『ヨーグルトを食べる』『音楽を聴く』、これだけでもう最高のモーニングになります(そういえばしいたけ栽培の記事を書くのを忘れていたので、しいたけの写真を貼りながら最近思ったことを書きます)。

 

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 愛する人と過ごす。

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『人を愛する』なんていう言葉を使うと、なんだか非常に恥ずかしい気持ちになるというか、「お前、今恥ずかしい事を言ってるぞ」と自意識がガチトーンで囁きかけて来て死にたくなる時が結構あるのですが、『人を愛する』ということは、『許す』ということと似ているような気がします。「あ、この人なら基本的に何をされても許せるな」とか「この人に対してなら寛容になれるな」と思ったら、それはもうその人を『愛している』のだと思います。ここで言う『愛している』というのは、別に恋愛的な意味を指して言っている訳ではないのですが、もちろん恋愛的な意味も内包しているような気がします。

 

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好きな人となら(愛している人となら)、内容の無い話でも割とどうでもいい話であっても心の底から「最高だな」と思えるけれど、なんだかよく分からない人と内容の無い話をしている時は「なんなんだお前は」みたいなことを思ってしまって、私は耳を塞ぎたくなる(もうほんとに最悪の場合露骨に態度に出る)ことがあります。最近はここら辺の精度を高めたいと思っていて、一時的な寂しさを埋め合わせるために自分を利用してくるような人とは、極力距離を置きたいと思っています。

 

 

心を込める。

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最近の課題は『心を込める』ということです。心の込もっている言葉や文字は美しさを放ち、行動や所作には人間味が宿るのだと思います。『類は友を呼ぶ』と似たような意味になりますが、空っぽの言葉を使えば空っぽの言葉を使う人が集まり、心の込もった言葉を使えば心の込もった言葉を使う人が集まるのだと思います。

 

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多分、人間は常に漠然とした『寂しさ』のようなものを抱えていて、「どうしようもないこの寂しさをどのようにして処理するか」ということに一生をかけて苦悩し続ける生き物なのかもしれない、と思うことがあります。この『寂しさ』から逃れるための最も効果的な方法が『人と話す』ということになるのだと思うのですが、なんというか、「人と話せたら何でもいいんだろ」といった感じの人がいて、中途半端な関係性で群れを形成する人が一定数いるような気がします。「(適当な関係性であっても)誰かと一緒にいたら寂しさからは逃れられるだろう」というのは最も愚かな勘違いで、表面的なコミュニケーションをしている限り、いつまでも『人と話せていない』という違和感は憑いて回るのだと思います。お互いに心の込もっていない言葉を使っている限り、『寂しさ』からは永遠に逃れられないどころか、あとには『虚しさ』しか残らない(最悪の場合『寂しさのジレンマ』に陥ってゾンビみたいになる)のだと思います。

 

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・愛する人と過ごすということ

・心を込めるということ

 

言葉にすると物凄く陳腐に響いてしまって、なんだか物凄い月並みな表現になってしまうのですが、言葉の限界はここなんだなということを思いつつ、それでもこれら2点は非常に重要なことであるような気がしたのでここに記します。

 

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ちなみに、栽培キットで栽培したしいたけは、意外にも普通のしいたけで、普通に美味しかったです。現在は休息期間ということで放置していますが、10月12日(木)から栽培キットが第二シーズンに突入をするので非常に楽しみであります。