夕陽を眺めに行けばいい。

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 私は最近、ガキ大将に殴られた後のような顔をしながら登校をしている。このままではダメなのだと思う。卑屈になりそうなときが何度もあるけれど、私は贖罪の期間を全うしなければならない。生まれてきたことに対するごめんなさいを自らに言い聞かせ、私はここ数年を耐え忍ばなければならない。もちろん、これは完全に私個人の問題で、私が勝手に設定したルールであり、自業自得の沼にハマッた末路である(過去に撮った綺麗な写真を貼って気分転換しよう)。

 

 

最先端とは「無料【FOR FREE】」

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最近では、最先端なものほど無料化されているなあということを感じています。現に今、無料Wi-Fiは世界中に飛び交っているし、無料のアプリも大量にあるし、格安SIMの登場により月々の携帯代が劇的に安くなって(いずれ無料になるのだろう)、「え、こんなに便利なのに無料でいいの?」と思うことは頻繁にあります。多分、最先端とは「無料【FOR FREE】」のことで、これからはあらゆる場面でお金を払う機会は減っていくのだと思います。

 

 

圧倒的な最先端は「自然」

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最近は「幸せとはなんだ」ということを考えています。私は恐ろしく人格がねじ曲がっているので、「誰かの幸せのために」とか言っている人を見ると「おいおい、嘘をつくなよ」ということを思います(たまにそういう自分を嫌なヤツだなと思うことがあるけれど、本当に誰かの幸せのために行動している人は「誰かの幸せのために」などと主張することはなく、ただ純粋に「当人が(その行為によって)楽しそうにしている」ように見えることが多いです)。私は「幸せのキューピッド感満載の人」が苦手で、そんな人よりも「自分のことで精一杯な人」を好む傾向があります。

幸せというのは、自分が心の底から「この瞬間は最高だな」と思える、まさにその瞬間の「こころの充足」を指すのだと思います。そしてそれは自分の外側にあるのではなく内側にあって、どれだけ大量のお金を掻き集めても、人より多くのものを所有していたとしても、自分の心が「これで満足だな」と思わなければ、人は終わりなき幸福を求めてどこまでも彷徨い続けるのだと思います。

これは完全に私の経験にはなりますが、意外にも自分を満たしてくれるものは全部お金のかからないもの【日本海に沈む夕日を眺めることとか、圧倒的なスケールの朝日を見たときとか、見たことのない景色を見に行くこととか、静かな場所で野営をすることとか】で、これが先程の最先端のお話に繋がったりもするのですが、(「え、こんなに美しいのに無料でいいの?」と思える程に)常に『自然』が最先端であり続けてきたんだなあということに、ふと、気が付くことがあります。

 

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夕陽を眺めに行けば良い。

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美しいものには普遍性があると思います。私は美しいもの【普遍性のあるもの】を語りたいと思い始めていて、この世には初めから全人類に共通しているものが確実にあって、それは本来強烈な力で人と人を結びつけているのだと思います(こういうことを書くとちょっと恥ずかしい)。しかし現代社会では、表面的なもの(肩書きとか経歴とか中途半端な人間関係)に覆われて、全人類に共通している普遍的で美しいものが疎かにされていると感じることが多々あります。

人間関係において表面的なものに翻弄されそうになった時は、極端な話、夕日を眺めに行けば良いと思っていて、どれだけ多くのコミュニケーションを交わしていたとしても、美しいものを一緒に共有することができなければ徐々にその人との関係性は薄れていき、逆に全くコミュニケーションを交わせていなくても、美しいものを一緒に共有することができれば、その美しいものが確実にその人との関係性の中に刻み込まれていく【思い出になる】のだと思います。「この人は偉い人だから」とか「この人は全然面白くないから」とか、そのような表面的なものに惑わされるのではなく、それをガバッ!と取っ払って美しいものを共有することができた時に(大袈裟になるけれど)人は「生きていて良かった」と思えるのだと思いました。

 

 

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