複雑で陰湿なこのコミュニケーション社会において、コミュ障患者はやはり社会的弱者ではあるがその一方で沈黙を恐れるようになった現代社会に希望の光をもた…(文字数)

私はコミュニケーション障害という持病(stageは4)を抱えていて、もう一段階上を登ってしまうと遂には言葉を発する術を失う。私自身、遂に来る所まで来たかといった感じで、今やコミュ障という性質は私のアイデンティティを形成する一部として機能している。

 

 

私は基本、能動的に喋るということをしないけれども、だからこそ喋るという時は最大限の力を込める。最大限の力と一言で言っても、これが何のエネルギーなのかはわからないけれども、なんか知らんけど最大限の力を込める。

 

 

複雑で陰湿なこのコミュニケーション社会において、コミュ障患者が人々に理解されることはあまりない。とあるコミュニティにおいて『喋らないでいる存在』というのは『存在しないものと同義』どころか『排除されるべき対象』である、という被害妄想を抱えているために、コミュ障患者は常に周囲からの陰口などにビクビクしている傾向にある。が、stage4にもなると前述したとおり、コミュ障という性質がアイデンティティを形成する機能を持つようになるため、『これが自分だ』というある種の開き直りをしてみせる傾向にある。

 

 

であるからして私は、激しくコミュニケーションが飛び交うコミュニティの中でも『沈黙』を貫く通すことができる。良く言えば「自分を持っている」。悪く言えば「ただのコミュ障」。カッコ良く言えば「沈黙のガーディアン」

 

 

とは言っても私はやはりどうしても愚かな人間で、周囲の人間に自分のことを分かって欲しいと思う瞬間がある。いや、分からなくてもいい。ただ、諦めて欲しいと思う。「あ、こいつはこういうヤツなんだ」と、「あ、こいつはコミュ障stage4なんだ」と。そういう周囲の諦めと共に、私は自分の静けさを守って生きていきたいと思う。

 

 

しかし、コミュニケーション障害stage4患者が最も気を付けなければならないこと、それは「ユーモア」を忘れてはならないということで、全然うまく言えないけれど、雰囲気は青色や黒色をしていても、腹の中はピンク色にしておこうということである。

 

沈黙を貫いている最中、突然発言をしたと思ったらピンク色の気体が口から漂うくらいにはユーモアを兼ね備えておこうと、そういうことである。

 

 

 

そして、自分が持つテンションを相手に強要してはならない。逆に、自分の持つテンションを相手に強要してくるような人とは、距離を置きたいと思う。自分は自分で、他人は他人。私は自分の静けさを守っていきたいと思う。そして同様に、相手の静けさも大事に扱いたいと思う。

 

 

人にはそれぞれ役割がある。『この人は場を盛り上げる人』、『この人は場をまとめる人』、『この人は沈黙のガーディアン』と言った感じで、コミュニティ内では暗黙の了承の下、無意識的にお互いがお互いを認識し合っているのだと思う。

 

 

多分、人間というヒト科の哺乳類は、一匹では生きていけないように作られている。苦手なことはそれを得意とする人がやっていくという感じで相互補完的に、人間はここまで進化してきたのだと思う。

 

 

私は常々思っていた。現代社会には『沈黙』が無いと。多様化するコミュニケーション社会の中で、人々はいつしか『沈黙』を恐れるようになった。沈黙を恐れ、沈黙を排除し、鬼のようにテンションをぶち上げるようになった。

 

 

沈黙を恐れてはならない。

 

 

沈黙を護らなければならない。

 

 

人にそれぞれ役割があるのならば、それならば私は、複雑で陰湿なこのコミュニケーション社会において、沈黙を護るガーディアン【守護神】としての役割を果たしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまで書いて、自分何言ってんねやろ感がすんんごい。