葬式のドライブスルー化で、人々は皆『焼香ボタン』を求める。

ドライブスルーで葬式に参加できる葬儀場が、長野県にあるというのをつい最近知った。

 

 

喪服を着ることなく、車の窓から顔を出し、タブレット端末で名前を登録、ボタン一つで焼香できるという、最先端の中でも最先端を極めた超絶カジュアルなフューネラルセレモニー。外国では割と普通なのだそうだが、日本では2017年初の試みらしい。

 

 

ハンバーガー、スタバのコーヒー、ケンタッキーのフライドチキンに次ぐ焼香ボタン。

人はこのボタンを押す時、一体何を思うのだろうか。

 

 

私はそもそも『お葬式はいらない(と思っている)』派の人間なので、葬式のドライブスルー化は、まぁ、なんというか、ぶっちゃけどっちでも良い。

 

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ぶっちゃけどっちでも良い(発想は面白い)とは思うが、ドライブスルー化を進めてしまったら、「お葬式の意味って何?」的な疑問はますます強まっていく。

 

 

葬式のドライブスルー化はどうやら、『足が不自由な人』や『喪服を着て参列する時間が無い人』のために発案されたようだが、実際問題『人間関係』を気遣っての側面が強いように思う。

 

 

『顔だけは出しておきたい』とか『参列しなかった(できなかった)ことで喪主に会うのが気まずい』など、中途半端な人間関係に生じる気遣いによって悶々とすることがあるが、そのような心残りを解消するための手段としては、葬式のドライブスルー化は正解だと思われる。

 

 

現代の葬式は、多分、『参列するかしないか』が問われているのだ。葬式で何をし、何を思うかは関係ない、身近な人の葬式に参列し、死者に対して貴重な時間を割いたということを、死者ではなく生きている人間(喪主・遺族)に示すこと。参列するという、その行為にこそ意味がある。儀式が空回りをしている風に感じるのは多分そのせいで、それならば…、と私は思(ってしま)う。

 

 

とはいえ、格式ばっていたものが現代風にスタイルを変えるということそれ自体には、純粋に「良いな」と思う。ガチガチに硬かったものが、ゆるく柔らかく溶け出すような感覚が好きだ。

 

 

儀式というのは、多分、現代には合わない。

 

そのような中での葬式のドライブスルー化は、型にはまりきったこれまでの堅苦しい『儀式』という概念をほぐしてくれるものだと思うので、純粋に『良い』と思います、ハイ。ワタクシからは以上。