携帯を触りながらご飯を食べるという行為が何故「お行儀の悪い行為」と見なされるのかについての論文。

携帯を触りながらご飯を食べるという行為が何故「お行儀の悪い行為」と見なされるのだろうか、私には分からない。

 

多分あれだろう、やっぱり中途半端なんだろう。何かをしながら他の何かをするって、やっぱりなんか日本人の民族的な遺伝子的な部分が関与していて、やっぱり日本人ってなんでも一つのことを徹底的にやっちゃうからほら、何か1つのことを徹底的にやることを美徳とするカーマンセンス!があるから、何かをしながら食事をするという中途半端なヤツは日本人の種の存続にも関わってくるし、ひどい場合には日本人に対する冒涜だと捉えられ得る可能性もあるから、「食事をするときは食事をする!けじめが重要だ!」っていう民族的な遺伝子的なあれがやっぱり大きいんですかね。小学校の先生も言ってた「けじめをつけなさい!」って。ゲストハウスに居たカムチャツカ人も言ってた「kejime tsukero!」って。だから多分、何かをしながら食事をするというそのけじめのなさがダメだったのかもしれない。

 

でも人は皆、何かをしながら食事してますよね。美味しそうに調理された料理を前に、微動だにせず食事することはまず不可能でしょう。手を動かしたり、呼吸したり、顎動かしたり、「このテリーヌ美味しいね」とかなんとか言ってみたり、いろいろなことをしながら食事せざるを得ないですがな。見て楽しむ?香りを楽しむ?ふざけるな、私に飯を食わせろ。呼吸をしながら手を動かしながら顎を動かしながら「このテリーヌ美味しいね」などと言いながら今すぐ私にそのテリーヌを食わせろ。何もせずして食事などできるはずがない。なんなら今呼吸をしている真っ最中だ!とかなんとか言っていると、

 

屁理屈を抜かすな!お前は小学生か!

 

などと言われるのはごもっとも。私もそのような陳腐な屁理屈めいた屁理屈みたいな限りなく屁理屈に近い屁理屈を抜かすつもりは毛頭ない。そんな屁から出る理屈などありはしない、存在しない。

 

しかし、人は何かをしながら食事を摂らざるを得ない生き物だ。これは事実だ。呼吸をしながら、手を動かしながら、顎を動かしながら、「このテリーヌ……」などと言いながらテリーヌを食べる生き物だ。これは不変の事実だ。

 

だとしたら、何かをしながら食事をするということ自体に原因があるのではなく、全ては現代社会に蔓延しているもはや今世界を征服しつつある最強の電子機器「携帯」、諸悪の根源はコイツにあるのではないだろうか。

 

テレビを観ながら、誰かとおしゃべりをしながら、楽しく食事をすることは許されるけれども、たった一つ、携帯。携帯だけは断じて許さない。携帯なんてものを食事中に触る輩は打ち首獄門。ひったってぇぇぇい!と言われるが如く、怒りの鉄槌が降り注ぐ。

 

携帯は自分と周囲との空間を断絶し、完全に個人をプライベート空間、ネット空間へと取り込もうとする。アメリカの天才スティーブ・ジョブズの魔術によって取り込まれた人間は最後、もうそこにずっと安住してしまうだろう。

 

そして私は考えた。テレビを観ながら、誰かとおしゃべりをしながら食事をすることは許されるのに、どうして携帯だけは許されないのだろうか。年中無休24時間営業でそのパラドックスについて熟考し続けた結果、ようやくその答えが出た。多分、携帯を触ることを通して、人は何かをやりすぎながら食事をしてしまっているのだろう。携帯を持つという、いわば第一次doingに続き、携帯をポチポチするという第二次doingだけにとどまらず、文字を読むという第三次doingをしながら食事をしてしまっている。テレビを観ながら、誰かと食事をしながらという第一次doing(最悪でも第二次doing)は許されるが、やはり第三次doingにもなると事態は一転するようだ。仏の顔も三度まで。つまり同時に3つのdoingをしながら食事をしてしまっていることが問題なのだろう。

 

我ながらこの発見には驚愕した。世紀の大発見かもしれない。これは唯一アメリカの天才スティーブ・ジョブズの魔術を解く鍵になるだろう。何かをしながら他の何かをするということも重要だ。しかし、何かをやりすぎながら、第三次doingの罪を犯してまで他の何かをする必要は無い。

 

今、携帯を触りながら食事をしている者に告ぐ。今すぐ携帯を触りながら食事をするのはやめなさい。仏は四度目で怒り出すんだよとかなんとか言っている人も、今すぐ手に持っている携帯を置きなさい。

 

私は今でも、携帯を触りながらご飯を食べるという行為が何故「お行儀の悪い行為」だと見なされるのかは分からない。

けれども、敢えて食事の時間を使って携帯を触る必要もなかろう。