爆発するような生の実感~ノープランヒッチハイク旅を終えて~

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炊き立てホカホカの白米。お米が艶やかにキラキラと光っています。立ち昇る湯気の粒子が踊り子のように舞っていて、お米の香りがしてきました。鍋の中には豆腐、えのき、菊菜、玉ねぎ、いかにも味が染みてそうな野菜の数々。そして、綺麗な脂身をプリプリとさせた牛の肉。濃厚なオレンジ色をした卵黄をかき混ぜます。プルンとした白身と卵黄が良い感じに溶け合ったところで、牛の肉を絡ませました。滴る卵、牛の肉を白米に乗せ、肉でお米を包み込むようにして口の中に運びます。「美味しい……」私は震える声でそう言って、口の中に染み渡る肉汁と共に、その幸せを噛み締めました。

 

ノープランヒッチハイク旅で得た教訓をまとめます。

 

ノープランには面白いことが舞い込む。

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ノープランヒッチハイク旅には、目的地というものがありません。何処に行っても良いし、何処にも行かなくても良い。人は圧倒的な自由が与えられると、困り果ててしまいます。何かしら目的地を決めているはずのヒッチハイカーが本末転倒、ドライバーさんからの一番困る質問が「何処に行くの?」でございました。

しかし幸運なことに「どっか観光にでも行こうか」「飯でも食いに行こうか」と言ってくださる心優しい方々の登場により、観光やご当地グルメなども満喫することができまして、私の旅はより一層面白いものになったと思います。

今振り返ってみて思うのですが、おそらく私が何処かしらの目的地を設定していたら、このような面白いことは舞い込まなかったのだと思います。ノープランで行ったからこそ、「どこでも、どこまででも行ってもいいんだああああ」という開放的なマインドを持つことができ、その結果いろいろな面白い目に出逢えたのだと、私はそのように解釈しております。

(参考記事:私はノープランを愛しております。)

 

シェアする喜び~シェア袋を通して~

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私は旅の途中から【シェア袋】なるものを携えるようになりました。ドライバーさんから様々な頂き物を頂くので、「これを全て一人で独占してしまうのもなんだかなあ(有難いことに一人では処理できないなあ)」と思った私は、他のドライバーさんたちとシェアするようになりました。

このシェア袋がまた面白いことを呼び起こしてくれまして、チョコレート、カイロ、お花、双眼鏡、ティッシュ、お茶、ハーモニカ、知恵の輪などなど、食料から日用雑貨までありとあらゆるものを頂くようになりました。それらが子供から高齢者までいろいろな方にシェアされていく。これはつまり、『見知らぬ人同士がお互いにシェアし合っている』ということでありまして、私はこの奇妙な現象に面白さを感じ始めるようになりました。2月14日のバレンタインデーには自腹で板チョコを購入し、板チョコをシェアするというイベントを勝手に開催したりもしました。

精神的な豊かさとは、無功徳な精神で(見返りを求めず無条件で)、誰かに何かを与えたいと思える心にあるのだと思います。そして何より、シェア袋の活動を、私自身が一番楽しんでいたと思います。経済的な豊かさとは程遠い私ではありましたが、シェア袋を通して精神的な豊かさを手に入れることができたのではないかと、私は思っています。

(参考記事1:シェア&シェア&シェア)

(参考記事2:欲しいから受け取り、与えたいから与える。)

 

恐怖の8割は先入観~永遠に続く恐怖は存在しない~

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 生きていれば「これはやべぇ…」と恐怖する場面に必ず遭遇するでしょう。私は、広島県の山の中で遭難をした時に、「これはやばいな…」ということを体験しました。しかし、永遠に続く恐怖というものはこの世に存在しません。私は、滝を超えるという経験を通してそれを実感することができました。

勉強を続けるコツは、「とりあえず5分だけ机に向かってみること」だとよく聞きます。これと同じで、恐怖を断ち切るコツも「とりあえずやってみること」なのだと思います。とりあえずやってみることを通じて、「あれ、たいしたことなかったな」と思えるかどうか。恐怖の8割は先入観です。「あれ、たいしたことなかったな」と思えたのならば、その恐怖の正体はただの先入観だったということであり、そう思えないのならば、その恐怖は確かな恐怖だったということです。「とりあえずやってみる」という精神と、「別に逃げても良いんだよ」という自分に対するある種の赦し【心の余裕】を持つことが、恐怖と対峙する場面で最大の武器になるのだと思いました。

(参考記事:永遠に続く恐怖は存在しない。)

 

コミュ障を直す必要はない~つまらない嘘をつくよりも、面白い恥辱を晒せ~

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 私はヒッチハイクを通して、密かにコミュ障を治そうと試みたことがあるのだけれど、見事に失敗に終わりました。この失敗を通して、僭越ながら私は「別にコミュ障を治す必要はないのだな」ということを悟りました。ある種の開き直りでございます。

ありのままを晒け出すことよりも、ありのままの自分を偽ることの方が楽なのだと思います。しかし、ありのままの自分を偽ることには面白さがありません。私は楽な道よりも面白い道を行きたいなと思うようになりました。ありのままを晒け出すことは、自分だけが織りなすことのできるエンターテイメントへと変化し、結果として楽な道も面白い道も歩けるのではないかということを、今のところ私は夢想しております。自分を偽る必要はありません。そのままでいきましょう。

(参考記事:コミュ障を治す必要はない~つまらない嘘をつくよりも、面白い恥辱を晒せ~ )

 

人間関係において重要なのは、面白がることと諦めること

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私はノープランヒッチハイク旅を通して、年齢、性別、職種を問わずあらゆる人とお話をしてきました。その中には「この人スゲーー!!!」と尊敬できる大人もいれば、「この人みたいな大人にはなりたくない」と拒否反応すら起こす大人とも出会います。様々な生き方をし、いろんな考えを持った人と接していく中で、人間関係において重要なのは『面白がること』と『諦めること』なのだと思うようになりました。これは知識や経験の量に関わらず、全ての人に言えることだとは思いますが、相手の考えの中に自分の知らない世界を見た時に、「あなたは間違っている!」と高飛車な態度を示すのではなく、「そんな考えもあったのか!」と面白がること。そして面白くないと思った時には「すみません、私にはその面白さがわかりません」という潔い諦めと共に、自分の視野を拡張していくこと。それが何よりも重要なのだと思うようになりました。

自分を肯定するための批判、自分の考えを相手に押し付けることは「暴力」と同じです。自分を肯定するために批判をするのではありません、自分の考えを押し付けるのではありません、自分の考えをさらに「自分」に近づけていくことで、人は自分の考え方の軸を形成するのだと思います。

(参考記事:様々な大人と話す。~面白がることと諦めること~)

 

人間はマヌケだ~慣れは感動を奪う~

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人は、大切なものを失って初めて、大切なものの大切さに気付く生き物です。腹が減っても飯はあり、ゆっくり浸かれる湯船があって、今夜眠れる場所がある。慣れは感動を奪います。いつの間にか目の前の感動に慣れてしまうと、それを失うことでしか、再びその感動を味わうことができなくなります。

しかし私は、人間のこの不完全さに面白さを感じるようになりました。「あれは大切な物だったのかああああ!!!」と、「コンチキショーー!」と意味も無く大地を叩き、大切な物を失った後に絶叫する人間。言葉にするとやや残酷な響きを帯びるのですが、もっとPOPに考えていただきたい。これは物凄く、人間のマヌケな一面だと思うのです。

日々の何気ない日常には、慣れによって薄れてしまった感動が五万と眠っています。【知足(ちそく)】~幸せは気づいた人だけが手にできる~という言葉があるように、日常の中で深い眠りについてしまった感動、豊かさ、幸せに気付くことができた時、人は本当の意味で満たされるのだと思います。

(参考記事1:人間はマヌケだ。~言葉には限界があり、人はその限界を知っている~ )

(参考記事2:たまにでいい。何気ない日常を見つめ直す。)

 

爆発するような生の実感

人が生きる意味。それを敢えて言うならば、それはおそらく『喜び』なのだと思います。何かを達成する喜び、何かを、誰かを愛することの喜び、生きていることの喜び。人は皆、自分が思う『喜び』を追い求めて生きているのだと思います。笑いながら、泣きながら、悩みながら、恐怖しながら、一歩一歩着実に、その『喜び』へ向けて突き進んでいるのだと思います。時には逃げ出すこともあるでしょう。時には死にたくなることもあるでしょう。それでもなお涙を拭って『喜び』を追い求める。その過程が人生なのだと思うようになりました。

 

大学の講義に出なくなったのは、おそらく10月末あたりだったと思います。「つまらなかったから」という単純な理由にはなりますが、当時逃げ出すことに必死だった私は、学校も家も飛び出しました。

所謂「自分探しの旅」に出たつもりは全く微塵も無かったのだけれど、旅で様々な人と出逢い、いろんな体験をさせていただいて、私が求めていたものが分かったような気がします。それは、生きているという実感。「うおおおお!!」と、思わず叫び出したくなる程の、爆発するような生の実感。私は、そういうものを求めているのだと思います。

私はそれを、自然の中に見出しました。人は圧倒的な自然を目の前にすると、自然としての人間、動物としての人間を自覚するのかもしれません。私はそこに、『生きている実感』を見たのだと思います。

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 ノープランヒッチハイク旅を終えて3月中旬から私は、三重県の猟師さんを訪ねて狩猟の勉強をしてきます。狩猟というカテゴリーに興味を抱いたのも、それが『生きている実感』に近づくものだったからかもしれません。

 

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爆発するような生の実感~ノープランヒッチハイク旅を終えて~