人間はマヌケだ。~言葉には限界があり、人はその限界を知っている~

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今現在、静岡県御殿場市のマックにてこの記事を書いている。幸運なことに、静岡市在住の男性から「うちに泊まっても良いよ」とのご連絡をいただいたので、本日はそこへ向かう予定である。他にも、静岡県浜松市で乗せて頂いた女性から、「困ったらいつでも連絡してきて」と、電話番号の書かれた紙をいただいた。ノープランヒッチハイク旅をしている私にとって一番困るのが宿である。この時期は寒い。凍える。凍死する。そのような中で「泊まっても良いよ」と言ってくださる方の背中からは神々しい後光が見える。私は天を仰いで合掌した。アーメン。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

人間はマヌケだ。

この寒い夜を乗り越える方法は、「歩くこと」です。歩けば歩くほど体の内側からじわじわと温まって来て、「あれ、全然寒くねぇな」といった錯覚を覚える。冬の時期ホームレスの人の中には、温かい昼間のうちに睡眠をとり、寒くなってくる夜にはひたすら歩くという人がいるのだと聞いた。

冷たい外気にさらされながら暗い夜道をひたすら歩き、自分の体温を感じる瞬間には「生きている実感」みたいなものがある。生命の危機にさらされるときに限って、人は生きているのだということを実感する生き物だ。金が無いから金があることの有難みが分かり、宿が無いから宿があることの有難みが分かる。失うことを通してしか、失ったものの大切さに気付くことができない人間は愚かだ。愚かだとは思うけれども、その愚かさの中に、『不完全な人間の面白さ』みたいなものがあるのだと思う。

常日頃から全ての事に感謝し、「ありがたや~ありがたや~」と思いながら生きている人間は完璧すぎる。完全な人間よりも、不完全な人間の方が面白い。「あぁ~、あれは物凄くありがたいことだったんだね~、すっとこどっこ~い」と、失うことでしか失ったものの大切さに気付くことができない人間はマヌケだ。有難いことに対して改めて「有難いな~」と思い直す人間はマヌケだ。全然うまく言えないけれど、そのマヌケさが人間独特の面白さなのだと思う。

 

伝播力と発信力

 私の考えの一つに『この世のあらゆる物質は、何かを伝えるために存在している』というものがある。これは物凄く人間中心主義的な考えになるけれど、人が誰かに何かを伝えるためには、この世のあらゆる物質を介さなければならない。言葉や音楽は空気の振動によって、絵画や文章は紙によって、「好きです」という気持ちはチョコレートによって、この世のあらゆる物質を通して何かが伝わっていく。この世の物質を介さずして、誰かに何かを伝えることは今のところ不可能だ。非力。人間それ自体には何の伝播力も無いのである。(参考記事:誰かに何かを伝えていく。)

 

人間には何の伝播力も無いけれど、人間には発信力がある。何かを伝えようとする意志がある。だからこそ伝播力を持ったこの世のあらゆる物質が存在するのであり、逆に人間が居なければ(何かを伝えようとする意志を持った主体が居なければ)、この世のあらゆる物質が存在していることに意味は無いのかもしれない。『物は、壊れた瞬間に存在することすら許されなくなる』という言葉を何かのドラマで聞いた。この世のあらゆる物質は何かを伝えるために存在している。そして何かを伝えるために存在することができるのは、そこに何かを伝えようとする意志を持った主体【人間】がいるからなのだと思った。

 

言葉には限界があり、人はその限界を知っている。

圧倒的な伝播力を持ったこの世のあらゆる物質の中でも、言葉というものは特別な存在なのだと思う。言葉の伝播力には限界があり、人はその限界を知っている。ある人が棒立ち無表情で「嬉しい」と口にしても、何も伝わってはこないけれど、笑顔で踊り飛び跳ねながら言う人の「嬉しい!!」には強烈な伝播力(説得力のようなもの)がある。言葉に虚しさを感じるのは、人間の発信力が欠如しているからだ。

 

千葉県柏市にてヒッチハイクをしていたところ、私は、何やら困った顔をしたおばちゃんが自転車の傍にしゃがみこんで居るのを見た。どうやら何かの拍子で折り畳み傘が自転車のチェーンに引っかかったらしい。折り畳み傘は深くチェーンに食い込んでいて、一部めり込んで破損している。「こりゃあ大変だ」と思った私は、チェーンの油で手を黒く汚しながらも、なんとか折り畳み傘の除去に成功した。おばちゃんは「ありがとう!ありがとう!」と言いながらお買い物へと去っていたのだが、その数分後、おばちゃんは再び私の元へ戻って来て、「さっきはありがとね」と言ってジュース2本を私に買い与えてくれた。「今日は善いことをした!」と、その日私は上機嫌でヒッチハイクをすることが出来た。

 

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変な表現にはなるけれど、このおばちゃんは「ありがとう」という言葉に限界を感じ、私にジュース2本を買い与えてくれたのだと思う。私的には、折り畳み傘の除去に成功した瞬間のおばちゃんの安堵の表情と、「ありがとう」という感謝の言葉だけで充分な説得力があったように思うのだけれど、おばちゃんの感謝の気持ちは、言葉だけでは収まりきらなかったのかもしれない。言葉には限界があり、人はその限界を知っているのだということを、私は強く感じました。

 

おばちゃんを助けたその日、私は通りすがりのお兄さんから天然水をもらった。

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人間はマヌケだ。~言葉には限界があり、人はその限界を知っている~