所持金0円から。~私は一人ではない~

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今現在栃木県宇都宮市にあるマックにてこの記事を書いている。先日の早朝、千葉県成田市在住の友人宅を出発した時の所持金は、衝撃の83円であった。にもかかわらず、賢者の雰囲気を漂わせたご老人との出会いにより、千葉県香取市にある香取神宮へ参ることとなった私は、あろうことか、その83円を賽銭箱にぶち込んだ。所持金が0円となったのである。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

私は一人ではない。

私は何も、自暴自棄となって83円を賽銭箱にぶち込んだのではない。賽銭箱にお賽銭を入れようと財布を見たその瞬間に、未練も、後悔も、恐怖も、不安も、その全てを賽銭箱に投げ捨てていくかのように、私は、その83円の小銭たちを、およそ3回に分けてぶち込んだ。それは極めて自然な手の動きであった。小銭を賽銭箱に投げ入れる瞬間は清々しいものである。からっぽとなった財布を眺めてみても、何も感じはしなかった。私は、神様などという存在を一切信じてはいない。

 

これは余談になるけれど、多分昔の人は、数字の3と8が好きだったのだと思う。不思議なことに、諺には3と8がセットで使われるものが多い。『櫓(ろ)三年に棹(さお)八年』、『首振り三年ころ八年』、『ぽつぽつ三年波八年』、『桃栗三年柿八年』などなど、どれもこれも立派になるためにはそれ相応の修行が必要だという意味のものであるが、これほどまでに3と8がセットとなって使われているのは何故なのだろうか。私も、人生ゲームなどで数字を二つ選ぶ時には必ずと言っていいほど、3と8の数字を選ぶようにしている。何故なのだろうか。不思議である。

 

そして私はその日、九死に一生を得た。乗せて頂いた方から昼食、夕食と立て続けに奢ってもらい、現金まで頂き、私は今こうして生きることができている。金があり、食べる物があり、横になれる場所がある。歩ける大地があり、新鮮な空気があり、美しい自然がある。人の優しさに生で触れることを通じて、壮大な自然を肌身で感じることを通じて、私は、一人だけの力で生きていくことは不可能なのだということを強く自覚していく。そして、生かされているのだということを実感する時、私は決して一人ではないのだということを思う。

 

会社員として働きながら、「聴き屋」(悩みを抱えている人達の聞き役となる人)としても活動をされている20代女性に、すき家で牛丼を御馳走していただく。ありがとうございました!

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水族館が大好きだという大学3年生の男性に、栃木県宇都宮名物の餃子を御馳走していただく。ありがとうございました!

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【心に余裕のある自分がいること】への喜び

私は、2月14日(火)からシェア袋に20枚の板チョコを詰めて移動をした。結果から言うと、バレンタインデー当日には、そのうち10枚のシェアに成功し、その翌日には8枚のシェアに成功した。私はチョコレートをシェアするとき、確かな喜びに触れる。それは、私の好きなものがより多くの人に広がっていくという喜びであり、「シェアしたい!」と思った時にシェアすることのできる自分が存在する【心に余裕のある自分がいる】ことへの喜びである。

通りすがりのおじいちゃんに話しかけられたので、板チョコをシェアした。おじいちゃんは私に100円をくれる。私は「チョコレートを売っている訳じゃないんですよ」と言って返そうとした。しかしおじいちゃんは「チョコレート代を払っているんじゃないよ」と言う。私はなんだかよくわからないけれど、嬉しい気持ちになった。

 

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最近は、シェア袋の成長を如実に感じる。お酒、カイロ、お花、板チョコ、みかん(和歌山産)、甘栗(横浜中華街)、飴玉、海苔、うなぎパイ(静岡県産)、リッツカールトンのティーパック、何故か知恵の輪まで入っている。園芸のお仕事をしている人からシェアされたお花は意外にも人気で、奥様方などにシェアされていった。先日は、成田の友人からカレンダー、袋、ストラップを、大学3年生の男性からは、缶コーヒー、リポビタンD、笛(笑)をシェアしていただいた。食べ物から日用雑貨まで、ありとあらゆるものをシェアしていただき、それらがいろんな人にシェアされていく。私は、「見知らぬ人同士がお互いにシェアし合っている」という現象に面白さを感じる。シェア袋を作って、本当に良かったと思った。

 

愚かな人と賢い人と天才

最近私が考えていることは、「考えている」ということである。

世の中には愚かな人、賢い人、天才の三種類の人間がいて、彼らの違いは多分、「考えている」ことなのだと思う。愚かな人は、周囲の人間に流されることで思考停止し、自らの頭で考えて行動することを放棄してしまっている。賢い人は、どうすれば自分が楽しいと思えるのかを、常に第一に考えて行動している。そして天才は、それ(どうすれば自分が楽しいと思えるのかを考えて行動すること)に全く気付いていない程に、自分が楽しいと思えることに対して没頭している(故に優れた結果を生み出すことができる)。

周囲の人間に流されて思考停止してしまっている時、人は愚かな人となり、どうすれば自分が楽しいと思えるのかを考えて行動する時、人は賢い人となり、何かに没頭して楽しんでいる時、人は天才となる。それはつまり誰もが皆、愚かな人にも、賢い人にも、天才にもなり得るのだということであり、その可能性を潰すのも拡げるのも全ては自分に委ねられているということである。私は常に賢い人であり続けたいし、出来れば、天才にもなりたい。

 

 東京都千代田区にて乗せて頂いた大阪府堺市出身の男性に弁当を買っていただいた。彼は常に元気溌剌としていて、私も元気を溌剌した。

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 香取神宮を訪れた時は、砂嵐だった。目に大量の砂が入って、私は、約一時間目を閉じながら歩いた。

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 おわかりだろうか。

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 所持金0円から。~私は一人ではない~