他人の不幸を願うのは、他人の卑怯な部分に触れたその瞬間だけにします。

今現在東京都千代田区にあるマックにいる。私の親友はチキンクリスプであるが、最近はホットコーヒーSサイズとも親友になりつつある。彼らは私の財布に優しく、冷え切った私の体をも温めてくれる。チキンクリスプとホットコーヒーSサイズを一気に呼んでしまう時もあって、彼らには本当にお世話になりまくっている。

本日は、いつにも増して堅苦しい文章となっています。

 

東京都品川区に上陸した私は、そこから北上するためにヒッチハイクを試みた。私がヒッチハイク場所として選んだのは、歩行者・自動車共に交通量の多い十字の交差点で、ヒッチハイクをやるにはそれなりに条件の良かった場所だった。朝日が気持ち良い。横断歩道で信号を待っている人が、たまに声援を送ってくれる。手を振ってくれる。そんな時、私のヒッチハイクへのやる気は、俄然上がる。

 

信号が赤になった。

 

すると突然、信号待ちをしていた一人の40代くらいのおばさまが、私に向かってこう言った。

「ここは子供達がいっぱい通るから(ヒッチハイク)やめたほうがいいんじゃない?」

 

その口調はどこか挑戦的であった。そのおばさまの目、鼻、口、とその周辺の筋肉の動きを間近に観察ながら私は、一気に皮膚が粟立つような感覚を覚えた。いわば「言ってやったぜ感」みたいなものがそのおばさまの周囲に充満していたのである。人の表情には、その人の真意が滲み出る。言葉はいとも簡単にその真意を無視することができるけれど、身体(特に筋肉など)はどうあがいても本音を語る。

そして私は、「あなたは卑怯です。」と言った。

 

おばさまの言葉を、その言葉通りに直訳すると、「こんなところでヒッチハイクをやっていると、多くの子供達の視界に入って教育上よろしくないですから、ここでのヒッチハイクをやめてください。」になる。

 

誤解して欲しくないのだけれど、私は「ヒッチハイクは子供の教育上良いことなんだ!」という、そんな大それたことを言うつもりは毛頭ない。ヒッチハイクが子供の教育上良いか悪いかなど、人それぞれの考え方に委ねられるものだと思っている(それについて考えるのはきっと面白いだろう)。ただ私がここで言いたいことは、このおばさまが極めて卑怯な手段に出たということである。

 

おばさまの言葉を、おばさまの真意を汲み取って乱暴に翻訳すると、多分、こうなる。

「あなたがヒッチハイクをやっているのを見ると、不愉快になるので今すぐ消えてください、目障りです。」

私の耳が腐っているだけかもしれない。しかし私にはどうしても、このおばさまの言葉が、陰湿な優越感を帯びた薬物中毒患者の呻き声に聞こえる。私の目が腐っているだけかもしれない。しかし私にはどうしても、このおばさまが自分の真意を無視した言葉を語り、自分の発した言葉に自分が欺かれていることから目を背け、陰湿な優越感に浸っているようにしか見えない。

このおばさまは、自分の放った言葉が、その言葉通りの表面的な意味しか持ち合わせていないということを知っている。このおばさまは、自分が自分の言ったことに欺かれているということを知っている。要するにこのおばさまは私に、「(正直言ってヒッチハイクが子供達の教育上良いか悪いかなんてどうでもいいけれどとにかく)お前のことが気に食わない」と言いたいのだろう。

 

いっそのこと「お前のことが気に食わない。だから今すぐ私の前から消えて。」とはっきり言ってくれれば、私はシンプルに凹むだけで済んだのだと思う。こんなに後味の悪い腹立たしさを覚えることもなく、「ああ、自分はこのおばさまにとって不快な存在なんだ」と、深い悲しみに沈むだけで済んだのだと思う。

しかしおばさまは「お前のことが気に食わない」という汚い言葉を使うのではなく、「ここは子供達がいっぱい通るから(ヒッチハイク)やめたほうがいいんじゃない?」などという血の通っていない言葉を使った。真意を語るのではなく空虚を語った。自分を欺き、私をも欺こうとして優越感に浸った。それは、卑怯だと思う。

 

言葉を放つ人の真意(お前のことが気に食わない)を無視した血の通っていない言葉(ここは子供達がいっぱい通るから(ヒッチハイク)やめたほうがいいんじゃない?)は、何よりもまず「自分」を欺き(正直言ってヒッチハイクが子供の教育上良いか悪いかなんてどうでもいいけどとにかくお前のことが気に食わない)、そして「自分」がその欺きから目を背けることの代償として(気に食わないけど敢えてそれは言わないから)、至上の優越感に浸るための麻薬へと成り果てる(「子供達の教育面を考えて」という大義名分の名の下に空虚な言葉を語ります。その方が汚い言葉を使わなくて済むし語っていて気持ちがいいから)。

だから私は、「あなたは卑怯です。」と言った。

 

信号が青になった。

 

そのおばさまは怪訝な顔をして若干首をかしげてはいたが、その足取りは軽やかである。

 

 私の心が腐っているだけかもしれない。私はそのおばさまの後ろ姿を見ながら、おばさまの不幸を願ってしまった。「躓け!足を絡ませて転倒しろ!卑怯者!」と心の中で叫んだ。素晴らしい人との出会いは自分の存在を肯定してくれるけれど、卑怯な人との出会いは私をいつも自己嫌悪の闇へと突き落とす。それは、自分の醜い部分が何らかの形(言葉、行動、態度)となって、はっきりと自覚されるからだろう。

 

私は、このおばさまの卑怯な部分をも笑顔で受け入れられるような寛容な心の持ち主でありたい。そうありたいとは思うけれどもやはり、私の心はそれほど寛容にはできていない。私の器はそんなに大きくない。無理だ。無理だ!笑顔で受け入れるなんて不可能だ!

だけど決して、憎んだり、恨んだりしてはいけないのだと思う。だから私は、【他人の不幸を願うのは、他人の卑怯な部分に触れたその瞬間だけ!】と決めた。そう自分に言い聞かせておけば、多分、(ちっぽけな器の持ち主である)私にも出来るような気がします。

 

神奈川県小田原市にある小田原城。

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江ノ島を一周した。

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 他人の不幸を願うのは、他人の卑怯な部分に触れたその瞬間だけにします。