欲しいから受け取り、与えたいから与える。

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富士山が聳え、日本一標高差のある静岡県は比較的温暖な気候なのだけれど、とにかく風が強い。物凄く強い。私に後ずさりをさせる程の強さである。この暴風により、ホワイトボードもかなりの傷を負った。紐がちぎれ、角が曲がり、縁が一部取れてしまった。そのせいで、ホワイトボードをザック背面に掛けながら歩くこともできなくなる。また、その風の強さもさることながら、遥か遠くへ私を吹き飛ばさんばかりの猛烈な風は、私の体温までをも奪い去る。雨が降った日には最悪だ。風と水のダブルパンチ。しかしどのような状況に陥ろうとも、私はホワイトボードを掲げ続ける。このホワイトボードがあるからこそ、私はドライバーさんと出会うことができ、ドライバーさんは私と出会うことができる。私とドライバーさんを繋げるのは、たった一枚のホワイトボードなのである。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

人と話せば「自分」が分かる。

ヒッチハイクをやっていると当然、年齢・世代を問わず様々な人と喋る機会が増える。私と全く違う考えの人もいれば、考えが似ているなあと感じる人もいる。意見の異なる人のお話を聞くのは新鮮で、そのような時、私の頭の中では新しい未知なる風が吹き込んで、思考がぶわっと広がっていくような感覚を覚える。「あ、こういう考えの人もいるのか」「そんな考え方もあったのか」と、私の知らない世界を見せてくれる人は、面白い。アメリカ大陸を発見したコロンブスはどのような気持ちだったのだろうか。やはり、感動したのだろうか、ビックリしたのだろうか、ワクワクしたのだろうか。大袈裟かもしれないけれど、多分そんな感じの感動や驚きに似ているのだと思う。

しかし厄介なのが、たまに自分の考えを押し付けてくる人がいるということだ。「あなたは間違っている。こうした方が良い。」「そんなんじゃダメだよ」と、私の考えをきっぱりと否定し、自分の考えを押し付けてくる人がいる。相手に自分の考えをはっきりと主張できることは素晴らしいことだけれど、自分の考えを相手に押し付けてしまうと、それは【暴力】に成り果ててしまうのだと思う。

自分の考えを押し付けて相手の考えをねじ伏せるために、人と話をするのではない。様々な考えの中の一つの意見として自分の考えを自覚し、「自分はこうなのだ」と認識していくために、人と話をするのだと思う。あらゆる人の考えに触れる中で「やっぱり自分の考えはこうだな」と、自分の考えがより一層自分のものとして身近に感じる瞬間。人と話をすることの中には、自分を見つめる時間、自分の考えを再認識する時間が確かにある。あらゆる人のあらゆる考えに触れるという経験を通じて、人は「自分の考え方の軸」を形成していくのだと思った。「自分」を知りたいのなら、人と話をするということが一番の近道になるのだろう。

 

人は「受け取ること」に弱い。

ノープランヒッチハイク旅をしていると、私はあらゆるドライバーさんから様々な頂き物をいただく。そこで私は【シェア袋】なるものを作った。見た目はただのビニール袋なのだけれど、この袋には「人と人を繋ぐ力」が隠されている。誰かが入れた「何か」が、他の誰かの手に渡っていく。取り立てて言う程のことでもないと思うかもしれないけれど、私はこの「全く知らない人同士がお互いにシェアし合っている」という現象に面白さを感じる。誰かが入れたチョコレートが、子供達を笑顔にする。誰かが入れた缶コーヒーがドライバーさんの目を癒す。【シェア袋】には「人と人を繋げる力」だけではない、いつの間にか誰かの役に立っていたという「純粋な支え合いの精神」が、そこに詰め込まれているのだと思う。

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日々、シェア袋は進化している。沼津港まで連れていってくれたウェブ広告会社に勤める男性(Fさん)からはチョコレート、カイロ、貝の干物を頂き、神奈川県小田原市まで送ってくださった方々には激辛カップラーメンを頂いた。私はそれらをシェア袋に入れて他のドライバーさん達とシェアしようとするのだけれど、ほとんどのドライバーさんは「いやいや、いいよいいよ」「何か悪いねぇ、俺も何かあげないと」などと言う。

【シェア袋】は交換するための袋ではない。そして【シェア袋】に遠慮はいらない。当然である。その名の通りシェアするためだけの袋だからだ。よって、受け取ったから何かお返しをしなければいけないという必要性など全くなく、ただ自由に、欲しい物を持っていってもらって構わない。

何かを無料で受け取ると、何かお返しをしなければいけないという返礼義務に駆られてしまうのはなぜだろうか。【シェア袋】の場合では、多くの人が(金も何もない)私の身を案じて気を遣ってくれたのだろうけれど、基本的に人は、無料で何かを受け取ることに弱いのだと思う。それは受け取る側と与える側に優劣がつけられてしまっているからだ。受け取る側は劣っていて、与える側が優れている。だから自分が受け取る側に回ってしまうと、すぐさま与える側に回ろうとするのだ。

 

【欲しいから受け取り、与えたいから与える】

私は、受け取る側と与える側に優劣はないのだと思うようになった。受け取る側が何かを受け取る際に返礼義務を感じてしまうのは、心の何処かで受け取る側と与える側に優劣をつけてしまっていて、「与える側は勝ち組で、受け取る側が負け組だ」という競争意識が根底にあるからである。私も多分、そのような事を(自覚はしていなかったけれど無意識に)心の何処かで思っていた。しかしノープランヒッチハイク旅を通じて、あらゆる人から無料で何かを与えられる機会が増えると、「受け取る側と与える側は対等なのかもしれない」と思うようになった。それは、「与える側」が純粋な心で私に「与えたい」と思ってくださっていることがひしひしと伝わってくるからだ。そしてこの言葉が私の心に突き刺さる。「遠慮は面白くないぞ」(参考記事:プロ人生ゲームプレイヤーになれ。)

 

私は思う。「与えたい」と思った時に何かを与えられる人こそが『与える側』の人間であり、「与えなければいけない」という義務感で何かを与えてしまっている人は単なる『与えさせられている側』の人間なのだ。『受け取る側』と『与えさせられている側』との間には明らかな優劣が生じていて、『受け取る側』と『与える側』の関係は常に対等である。よって、『与える側』が『受け取る側』に対して返礼を求める資格もなければ、『受け取る側』が『与える側』に対して遠慮をする必要もない。言葉にするとなんだか難しいことのように聞こえるけれど、これは極めてシンプルな考え方である。

公園のベンチに座ってハトにエサを与えているおじさん。おじさんは「ハトにエサを与えなければならない」という義務感に駆られている訳ではなく、ただ「ハトにエサを与えたいから与えている」だけである。そして受け取る側であるハトも、「エサが欲しいから受け取っている」だけである。

【欲しいから受け取り、与えたいから与える】ただ、それだけのことだ。

 

静岡県にしかないハンバーグレストランチェーン店「さわやか」を訪れた。

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 こりゃうまい。初めて静岡県を訪れたのならば迷わず行くことをオススメする。

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 静岡県浜松市にある「航空自衛隊浜松基地広報館エアパーク」も訪れた。

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 カッコイイ戦闘機から、かわいい飛行機まで展示されていて、見るだけで楽しい。

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 欲しいから受け取り、与えたいから与える。