シェア&シェア&シェア

あじさいの花束造花

先日2月3日(金)、私はとんでもないオープンマインドの持ち主である主婦(以下Mさん)に拾われた。その頃私は寒さに震えていたために、ホワイトボードとザックをクリップで留めて、背中でボードを掲げるような形で歩いていたのだけれど、Mさんは、「南へ」と書かれたホワイトボードが掛けられている私の寂しそうな背中を見て、わざわざ引き返してくれたのだ言う。また、今日の宿が無かった私のために、家族が了承しさえすれば泊まってもいいよとまで言ってくれた。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

シェア袋を抱えて

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ノープランヒッチハイク旅をやっていると、いろいろな人が私に食べ物や飲み物や現金の数々を与えてくださる。そして唐突に、これはシェアしていこう!と思った私は【シェア袋】なるものを作成した(※ただのビニール袋です)。今現在のシェア袋の中身としては、三ケ日産のミカン数個、干し柿、おにぎり、海苔、チョコレート数個、飴玉数個、うなぎパイ、お茶、コーヒーなどなど、そのほとんどが静岡県で手に入ったものになります。私は、乗せてくれたドライバーさんにこのシェア袋のことを説明し、「一緒に何か食べましょう!」「何か欲しい物があれば自由に取っていってください」などと言ってシェアしている。

先日、とある人が「これあげる!」と言って『七転び八起きせんべえ』なるものをシェア袋に入れてくださったのですが、その後すぐさま浪人生の子を持つ母親が「これもらうね!」と言ってシェアされていきました。(ご利益〔?〕あることでしょう!)私はその瞬間に「おおおおお!シェアされてる!!」という眼前の事実に興奮をしました。大袈裟なのかもしれないのですが、これはつまり、見知らぬ人同士がお互いにシェアし合っているということでございます。その場にはいない人が他の誰かに何かを与えているということでございます。私は、そのような【シェア袋】の持つ力と言いますか、可能性にひどく感動をいたしました。

 

子育てシェア

Mさん一家からの宿泊許可を頂いた私は、Mさん宅にお邪魔することとなった。Mさん一家の年中行事の一つとして、節分の日には親戚が総動員されて恵方巻作りに取り掛かるのだそう。私はアウェイ感丸出し素っ裸でMさん宅に突撃した。そして、恵方巻作りに参加させていただくことになる。

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私が一番驚愕した事実として、Mさん一族は、近所の子供達を招いて豆撒きならぬ『お菓子撒き』を主宰していた。近所の子供達十数人が袋の取っ手を握りしめて、お菓子お菓子!と目をキラキラさせながらMさん宅に集う。

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そして、撒く!

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私はこの光景にかなり興奮した。「子育てシェア」である。Mさん一族はMさん一族だけの子供達を育てているのではない。Mさん一族に関わるその他近所の子供達をも育てているのである。「お菓子いっぱい取れたよ!」と子供同士、「〇〇君大きくなったねぇ!!」と親同士、「〇〇ちゃん、こんにちは!」と子と親同士言葉を交わす。誰が誰の子供なのか、そんなことは関係ない。どの親も、どの子供も、笑い合い、そして支え合っていた。

待機児童なんていう言葉があるけれど、そんなものは「子育てシェア」をすれば解決するのではないかと、私は思う。「自分の子供は自分で世話を見る。見れないならば施設へ預ける。」そういうシステムはおそらく、限界を迎えているのだろう。私はここに、「子育てシェア」を提案したい。何のために人間は地域を形成して生活をしているのか。支え合うためであろう。地域で、近所の人同士で子育てを共有すればいいのではないだろうか。私は、この「子育てシェア」なるものに待機児童を解決する希望の光があるのだと思っている。

 

「人に迷惑をかけてはいけない」は、クソ。

お祭りやボランティアなどは地域が力を合わせて行うというのに、なぜ、「子育て」だけは力を合わせようとしないのだろうか。それは、「人に迷惑をかけてはいけない」という悪しき日本の教育方針が根強く浸透しているからなのだと思う。「祭りは楽しい。ボランティアも社会的に良いことだ。だからみんなで力を合わせて取り組もう。けれども子育ては人に迷惑がかかるからダメだ。」

違うだろう。そうではない。力を合わせるというのはそういうことではない。楽しいことだけ、社会的に良いことだけをみんなでやるということではない。楽しいことも大変なこともしんどいことも全部ひっくるめてみんなでやることが、力を合わせるということではないだろうか。

人に迷惑をかけてはいけないという思考は、周囲の人間に助けを求める力を剥奪する。周囲に助けを求められなくなった人間は精神的に追い込まれ、全てを自分で抱え込もうとしてしまうために、壊れる。そして、周囲に助けを求められなくなった人間の末路が自殺なのだろう。人に迷惑をかけてはいけないという閉鎖的な考えが蔓延する社会に未来はない。「子育てシェア」のような開放的な共有社会に未来があるのだと、私は思っている。

人に迷惑をかけてはいけないは、クソだ。

 

シェアをすることは、人と人を繋ぐ。

私は毎日暇を持て余しているために(主に夜には)、本を読んでいる。最近は北九州の先輩からいただいた重松清『青い鳥』を読み終えて、遂に持っている本を読破してしまった。私は夜に暇を潰す手段を失ったのである。そこで私が、「もしよろしければMさん宅にある本を数冊、私の持っている本と交換しても良いでしょうか」とお願いをすると、Mさんは快く受け入れてくれた。

シェアをするということは、人と人を繋げるということである。本でも食べ物でも飲み物でもお金でもなんでも、あらゆるものをシェアすることで、人と人との心理的な距離は一気に近づく。その場にいない人同士であってもいい。自分のシェアしたものが他の人にシェアされていき、それがまた他の人にシェアされていくという風に、シェア〔共有〕がサーキュレーション〔循環〕になれば最高ではないか!と私は思う。

 

 私が子供達のために作った恵方巻アンパンマン(北北西ver)

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Mさんに御馳走していただいたとろろ蕎麦定食。

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Mさんのお子さん(2歳)を引き連れて、浜松城でお散歩をした。

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中にも入る。入場料200円。

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 シェア&シェア&シェア