この世は素晴らしい。

雪融けの山里

今現在は岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある旅館にて住み込みボランティアをしている。辺りには綺麗に雪化粧をした山々が広がり、近くにはスキー場もある。気温は常にマイナスで、屋根端には氷柱が何本も垂れている。空気がうまい。夜には貸し切りの露天風呂に浸かり、星を眺めることもできる。旅館で働くことの醍醐味はこれだ!と、私は大自然に向かって吠えた。

主な仕事としては客室の清掃業務、ベッドメイキング、食器洗いになる。月並みな表現になるけれど、掃除をすると心が洗われるというのは本当だ。床全面に掃除機をかけ、部屋の隅々まで拭き掃除を施す。掃除をやった!という清々しさから一日が始まるからなのだろうか、私は、今日一日を有意義に過ごそう!という気概に満ち溢れ、丸まっていた背筋がピンッと伸びる。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

チョコレートが好きです。

先日ヒッチハイクで乗せて頂いた方々と、滋賀県長浜市にてチョコレート専門店を訪れた。そこでチョコレートとマカロンを御馳走になる。口の中で見事にとろけるチョコレートと、絶妙な甘さが口いっぱいに広がるマカロンは最高で、マカロンが浮かぶチョコレートの海に溺れたい!と思った。

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また、愛知県名古屋市で出会ったカップルにもチョコレートを買っていただく。彼らは私がヒッチハイクしているところを二度も見かけてくださって、二度目に君を見かけた時はビックリしたもんだよ!と私に話してくれた。ついでに夕飯を御馳走してくださるなど、彼らは私を〔息子感覚的な感じで〕可愛がってくださった。チョコレートありがとうございます!

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さらには滋賀県大津市にて、突如として通りすがりのおじさんから、「頑張ってね」という言葉と共に板チョコをプレゼントされる。もしや彼は、私の心を読んでいたのだろうか。これにはさすがに驚愕した。なんと気前の良い人なのだろう!と、私は彼に向かって直角90度のお辞儀をする。

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与える喜び、共有する喜び

私は今までのノープランヒッチハイク旅を通して、あらゆる方々から数えきれない程のものを頂いてきた。パン、おにぎり、チョコレート、芋菓子、現金などなど。つい最近には岐阜県高山市にて多機能マルチツールまで頂いた。ご飯を奢ってもらうこともあれば、ホテルを予約してくれることもある。先日パキスタン人二人組に乗せていただいた際には、彼らの経営するカレー屋さんにてカレーを御馳走になった。また、名古屋で乗せていただいた女性からは1000円を頂く。

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 誰かに何かをあげること、誰かと何かを共有することには喜びがあるのだということを知った。(個人的に)プレゼントという言葉の響きに美しさを感じるのは、プレゼントを受け取る側だけではない、プレゼントを与える側にも多大なる喜びが(その言葉の響きに)内包されているからなのだと思う。誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもそのほかあらゆる贈り物も、そしてプレゼントをする(贈り物をする)という行為自体にも、受け取る側と与える側どちらをもハッピーにさせる力が宿っている。誰かが必要としている物を、他の誰かがプレゼントとして分け与え、共有し、それらが世界中に飛び交えば、忽ち世界は平和になるのではないかということを夢想している。

 

この世は素晴らしい。

 私のノープランヒッチハイク旅はそもそも、誰かの助けがないと成り立たない。移動にせよ食料にせよ宿にせよ、私がノープランだああだこうだと言って旅をしていられるのは常に、誰かしらの支えがあるからで、結局私自身には何もない。私は何も持っていない。私には何の力もない。私一人では何もできない。これは卑屈になっている訳でも、自分の無力さに呆れ果てている訳でもないけれど、事実として、私が自分一人だけの力でしてきたことと言えばせいぜい、道端でホワイトボードを掲げ、歩くことだけだった。持っているものと言えば、衣類と電子機器とザックとはした金だけである。

しかしそのような私でも、今こうして生きて、ノープランヒッチハイク旅をすることができている。一人では何もできなくても、何も持っていなくても、生きることはできている。それは、この世は素晴らしいからだ。世間は厳しいんだよとか、人に迷惑をかけてはいけないんだよなどという言葉はよく耳にするけれど、実際言われたこともあるけれど、時にはそういう場面もあるのかもしれないけれど、しかし一つだけ確実に言えることは、この世は素晴らしい!ということだ。

この世は素晴らしいんだよと子供たちに伝えられることのできる大人は一体どれくらいいるのだろうか。世間は厳しく、人に迷惑をかけてはいけないと教えられてきた子供たちは、社会に対して世間に対して他人に対して、常に警戒態勢を敷かなくてはならない。それはしんどいと思う。それは窮屈だと思う。それは生き辛いと思う。この世の苦しい一場面だけを切り取り、それをふんぞり返るようにして吹聴するような大人は、ダサい。どうせなら私は、この世は厳しいんだよと伝えるよりも、他人に迷惑をかけてはいけないんだよと伝えるよりも、この世はこんなにも素晴らしいんだよ!!と子供たちに伝えられるような大人になりたいです。

 

 この世は素晴らしい。