透明になった常識の壁

初夏の庭

先日滋賀県彦根市にて私は、ぶっ飛んで素晴らしい人たちとの邂逅を果たした。彼らは私なんかのためにホテルまで予約してくださり、私は何から何まで彼らのお世話になりまくる。この記事は滋賀県彦根市にあるアパホテルにて書いたもので、彼らとの旅についてはまた別の記事にて書こうと思っているのだけれど、おそらく3000字以内で書き切ることは難しいだろう。素晴らしい人たちとの出会いは、私の存在そのものをまるごと肯定してくれる程の力を持つ。人の優しさは循環し、その循環の中で人は豊かで寛容な精神を養う。優しさを欠いた行動をとってしまう時には、誰かの優しさに触れてみることが一番だ。そして人は誰かの優しさに生で触れることを通じて、「自分も誰かにとって優しい存在でありたい」と願う精神的な強さを得るのだと思う。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

タクシー現る。

私は先日大阪梅田付近でヒッチハイクをしていたところ、驚くべきことが起こった。私を単なる乗客と見間違えたのか、一台のタクシーがのんびりと私の前で停車をした。サイドのウィンドウがゆっくりと開き、中からおじさんが顔を出す。呑気に「どこに行くんや?」と言うものだから、私は思わず狼狽した。冷静に考えろ。相手はタクシーの運転手である。人を運ぶことでお金をもらう職業だ。もしかしたらヒッチハイクで乗せてあげたと見せかけてあとから運賃を要求してくる、ヒッチハイカーをターゲットにした新手の詐欺ではなかろうかという疑念が瞬時に頭をよぎった。しかし、そのような疑念を抱いたところで前に進むことはできない。私は、騙されてもいいや!という開き直り的な覚悟と共に、「(ノープランなので)どこでもいいです!」と笑顔で答えて見せた。

そしてそのような疑念は一瞬にして杞憂に終わる。夜勤明けで疲労が蓄積していたのだろうか、50代後半と思しきそのタクシーの運転手は、「パイナッポーウ!!パイナッポーウ!!」と叫びながらパイナップルキャンディーを私に2つくれた。粋である。私の心で渦巻いていた、ヒッチハイクでタクシーに乗った違和感と無賃乗車をしたという罪悪感はいつの間にか消え去っていた。

 

この世のあらゆる常識にジャーマンスープレックスを決めろ

つい先日まで私は、バイクもタクシーも私を乗せてはくれないのだろうとばかり思い込んでいた。しかしあろうことか、その両者がヒッチハイクで私を拾ってくれたという事実は、私の常識を完膚無きまでに破壊してくれた。(参考記事:プロ人生ゲームプレイヤーになれ。 )

常識とは、己の心が作った壁である。無理だろうと思った瞬間から常識の壁は構築され、無理だと判断した瞬間に常識の壁は透明になる。透明になった常識の壁は人間の意識から消え去り、やがて人はその壁を破壊する機会すらも見失うようになるのだ。脳内で[Alexandros]の『NEW WALL』の歌詞が鳴り響く。「HELLO~HELLO~HELLO~NEW WALL!」。常識の壁とは見えるうちに挨拶を交わしておこう。そして挨拶を交わしたあとは華麗にジャーマンスープレックスを決めてやれ。常識の壁は透明になると厄介だ。そしてこの世には透明になってしまった常識の壁がなんと多いことか。見えない常識の壁に四方八方を包囲され、がんじがらめになった精神は行動力を鈍らせる。私は常に、(常識の壁にとらわれない)柔軟な行動力のもとにノープランヒッチハイク旅を楽しみたいと思っている。

 

ありえないことはありえる。

私がヒッチハイクで密かに抱く野望は、コイツは絶対に乗せてくれないだろう!と思われる車に乗せてもらうことである。パトカー、消防車、救急車、オープンカーにも乗ってみたい。そのように考え出すとヒッチハイクへのやる気も格段に上がるというものだ。

ありえないことはありえる。この世には、多分、ありえないことなど始めから無いのだろう。ありえることをありえないことと思い込んでいるのはいつだって人間だ。ありえることをありえないことだと思い込む心の中には、透明になった常識の壁がそびえ立っているのだろう。その壁を破壊したいという欲求と柔軟な行動力にこそ、何者にも縛られない自由な精神への突破口があるのだと思う。

 

【隻手音声(せきしゅおんじょう)】~小さな常識の枠から自由になろう~

両手を叩けば音が鳴ります。では片手だけの音を聞いてみてください。これは禅の公案(問答)です。もちろん片手では音が鳴ることはありません。それでもその片手に耳を傾けてみるのです。

私たちは普段生活しているなかで、常識や思い込みにとらわれすぎてはいないでしょうか。「こんなことはできるわけがない」、「この年齢だから、こんなことをするなんて常識はずれだ」などと、自分の本当の心の声を無視していたら、いつまでたっても自分のなかの小さな枠から飛び出ることができません。

片手の音を聞くこと。それは常識の枠を取り払い、新たな可能性を与えてくれるのです。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

 常識の壁とは、己の心が作り出した幻想に過ぎない。儚き人の一生の中で、自分で自分を縛りあげて身動きがとれなくなってしまうことほど虚しいことはないだろう。ありえないことはありうり、ありえることをありえないと思い込んでいるのはいつだって人間だ。常識の壁の破壊には、自分がありえないだろうなと思い込んでいることに挑戦してみることが最も効果的であり、常識の壁が見事に打ち砕かれた経験を通して人は、柔軟な行動力と共に何者にも縛られない自由な精神を手に入れるのだと思う。

 

今現在の所持金は、心豊かな方々からの奇跡的な施しによって12,978円になっている。少額ではありますが、このお金の面白い使い方を思いついたという方は(宿代として消えてしまう前に)お気軽にご連絡ください。常識にとらわれないぶっ飛んだ発想をお待ちしております。(hasehase0202@gmail.com)

 

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 透明になった常識の壁。