金が無くてものんきに生きる。

手すりに置かれた花束

自宅での療養を終えて、本日からノープランヒッチハイク旅を再開する。旅を中断した場所となる滋賀県草津市あたりまでは一旦高速道路を使用し、そこから元のルールに従ってヒッチハイクをしていこうと考えている。

ここにルールをおさらいしておく。

1、公共交通機関を使ってはならない

2、高速道路を使用してはならない

3、ホワイトボードには方角のみを記入しなければならない

体調を崩した時の帰りの交通費が大きな出費となり、今現在の所持金は27,371円から13,588円になってしまった。途中で住み込みボランティアを挟んでいこうとも考えているけれど、いずれにせよこのお金が底をつく時期は早まった。ならばもう、質素倹約を掲げてチマチマと使っていくのではなく、何か面白いことに大胆に使っていきたいと思っている。少額ではありますが、このお金の面白い使い方を思いついたという方は(宿代として消えてしまう前に)お気軽にご連絡ください。(hasehase0202@gmail.com)

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

習慣の奴隷

どうして日本人は、一日に三度の食事を摂るのだろうか。私は普段何気なく一日三食の生活を続けていた。けれどもそれは自分の脳が、自分の腹が、「お腹が空いた!」と叫んだからではなく、ただ私は、一日三食!という習慣に何の疑問も抱くことなく従っていただけに過ぎない。目が覚めたから朝飯を食べ、12時だから昼飯を食べ、夜になったから夕飯を食う。習慣におもねる人間は、いわば習慣の奴隷だ。

岡山県高梁市にて住み込みボランティアをしていた頃、私は一日二食の生活を送っていた。朝は何も口に入れずに農作業で汗を流し、脳が究極に空腹を感じてから山盛りの飯を食う。そしてまた仕事を再開し、究極に腹が減ってから山盛りの夕飯を食う。私は、この一日二食の生活が私を心身共に健康にしてくれたように感じていて、事実、少食な私の身には食欲の覚醒が起こった。(参考記事:いついかなるときでも人の体は生きようとする。 )そして何より空腹時に食う飯は、うまい。空腹は最大の調味料であり、心の底から「うまい!」と感じて食う飯は自分の血となり肉となる。習慣の奴隷となって一日三食の生活を続けるのではなく、私は、腹が減ってから食事を摂るようにしようと思うようになった。習慣からの奴隷解放宣言である。

誤解してほしくないのだけれど、私は決して一日三食の生活を否定したいわけではない。人間はその時々の状況によって自分の生活習慣を変えてもいいのだということであり、一日二食が良い人もいれば、一日一食でも良いという人もいる。今まで何気なく行っていた習慣の中には、意外にも自分には必要なかった!というものがある。人間は習慣の奴隷であるが、習慣からの奴隷解放宣言ができるのもまた人間なのである。

 

 心の余裕から豊かさが滲み出る。

 京都府京都市にて、私は美人カメラマンと遭遇をした。「今から仕事に行くけれど、一緒に来てみる?」と言ってくださり、暇を持て余していた私は、あろうことか、本当に仕事場までついていくことになる。

また、滋賀県草津市にて、私はお二人の若いカップルに乗せていただいた。時刻はちょうど正午を回っている。「お昼ご飯は食べたの?」と聞かれたので、私は「食べてません」と答えた。すると女性の方が「ここら辺に美味しいカレーうどん屋さんがあるからそこまで連れていってあげるよ」と言ってくださったので、ノープランを愛する私は嬉々として「ありがとうございます!」と答える。

残金は決して多くないにも関わらずカレーうどんを食べようとする私は、きっと、馬鹿だ。しかし、馬鹿には奇跡が舞い込む。お二人のカップルは「これでカレーうどんでも食べて!」と言い、別れ際に1000円を手渡してくれたのである。

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私は思いもよらぬ奇跡に心を躍らせながらカレーうどんをすすった。うまい。税込み1177円である。高い。そしてうまい。海老フライと海老の天ぷらが私を祝福してくれている。私は本日全ての出会いに感謝をした。

ところがどっこい、馬鹿には悲劇も舞い込むようだ。私はその日ノロウイルスらしき症状による嘔吐に見舞われて、カレーうどんはあっという間に私の口から流れ出ていった。吐瀉物となった海老フライと海老の天ぷらは明らかに私を拒絶している。無念!

 

誰かに何かを分け与え、共有し、のんきに帰る。

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以前にも紹介した星野道夫『イニュニック〔生命〕-アラスカの原野を旅する-』に面白いお話が紹介されていたので引用したいと思う。「鯨の座礁」というお話である。

 トーテムポールを求めて旅する著者は、ある日、キリスノという小さな村にたどり着く。訪れる者もいない寂しい場所だが、あたりは深い原始林に囲まれ、近くの海峡の潮の流れは目を見張るほどだった。この村から四キロもカヌーに揺られて行くと、海峡は一層狭まり、両岸が頭上にかぶさってくるようなところがある。その海峡の中の中央に大きな岩礁があり、干潮時には巨大な岩がポカリと浮かんでくる。その岩の表面は大きく窪んでいるので、急な干水に面喰らった魚達はその中で跳ね上がっている。魚と言っても一メートルを超す大魚である。その魚を毎日あてにして大ワシの群れがやって来る光景を、著者は驚嘆の思いで見つめていた。

 ある日の午後、静かなこの村に何か大変な事が起こったらしい。村人たちは手に手に壺のようなものを持ち出し、無言で次々にカヌーで出かけてゆくのである。村の娘をスケッチしていた著者は、絵筆を放っぽりだしてカヌーに便乗した。

 やがて事の次第がわかってくる。潮が引いた海峡の大岩に、小山のような大鯨が乗り上げてどうにも動けなくなっている。すでに大ワシの群れは鯨の胴を突いてその肉を食べている。水を離れた大鯨はたわいもなく横たわっているだけだった。

 村人たちはと見ると、大ワシと一緒になって、鯨の胴に三十センチぐらいの穴を開けて肉や油を持って帰っている。人々が次々にやって来るにつれ、穴の数もどんどん増えていった。何だかこの鯨の最後の様が気になった著者は、村人に頼んで潮が満ちて来るまでそこに残って見届けることにした。いつもこの窪みで受難する魚達は、今日に限って大鯨の身代わりのために助かったことを喜ぶように、盛んに跳ね上がっている。

 やがて遥かな岬の方から波のくだけるような音がしてくると、大洋からこの海峡に潮が押しよせて来た。黒い岩礁も見えなくなり、刻一刻大鯨の身体も海水に覆われ、背まで水にうずもれた時、一はね跳ねた鯨は海峡の深みに滑り込み、大きな渦をつくって見えなくなってしまった。

 身体に数知れぬ穴を開けられた鯨は、おそらく海峡の底へ沈んでしまったのだろうと、著者は村人と話しながらカヌーを漕ぎ出した時、目の前を穴だらけの鯨が悠々と潮を吹いて泳いでいった、という話である。人々といい、鯨といい、一体何というのんきさなのだろう。

~星野道夫『イニュニック〔生命〕-アラスカの原野を旅する-』~

私はこのお話に出てくる鯨に心を打たれまくった。肉をつままれ油を採られそのまま死ぬのかと思われた鯨は、生きる。ワシと村人に多大なる恩恵を分け与えた鯨は、海を泳ぐ。肉をつままれたことに、油を採られたことに激怒するのではなく、ただ何事もなかったかのように、鯨は広大な海を生きる一つの生命として佇む。私はそこに本当の豊かさを見た。

人よりも多くの物を持ち、高価な物を身に付け、高価な物を食べる人のことを豊かな人と呼ぶのではない。真に豊かな人とは、誰かに何かを分け与え、共有し、そして何事もなかったかのようにのんきに帰っていく人のことを指すのだ。前述した美人なカメラマンさんやお二人の若いカップルのような方々を、真に豊かな人と呼ぶのだろう。独占や占有、極度の質素倹約は精神の貧困化を招く。私は、お金が無くても、たとえ何も持っていなくとも誰かに何かを分け与え、共有し、のんきに帰っていく人になりたいと思う。その方が、きっと、カッコイイだろう。

 

カメラマンさんの仕事場、日本庭園に入る。

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金が無くてものんきに生きる。