感受性を磨く~他人との関係に悩むよりも、自分との関係を磨け~

 「壁をおおいつくす蔦」のフリー写真素材

先日は兵庫県神戸市を出発して大阪方面へと向かい始めた。高速道路を使うと長距離の移動となってしまうために面白さが無くなってしまうと思ったので、高速道路の使用は禁止すると自らに言い聞かせてヒッチハイクに挑んだ。それから、ボードに目的地を書かずに方角だけを書いてヒッチハイクをやってみると、意外にも車は止まってくれるのだということを、岡山県高梁市でお話したバーの店長から聞いた。

結果から言うと、それはあながち間違いではなかった。先日はどの車も20分以内で停車をしてくださり、私は、(そもそもこの旅に目的地は存在しないのだけれど)必ずしも目的地を書く必要はないのだということに気付く。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

名前の要らない関係

ヒッチハイクをしていると、当然初めて出会う人々とお話をすることになる。「どこから来たの?」「どこに行くの?」「何が目的なの?」不意に私は、私を乗せてくれた方々と自分との関係は何なのかということに思考を巡らす。私は今まで何百回もホワイトボードを掲げてきて、何百台もの車に乗せてもらい、何百人もの人とお話をしてきた。今までのヒッチハイクの経験上多くの場合、私もドライバーさんも、お互い名前も知らないままということがほとんどなのである。にも関わらず、別れ際に私は「ありがとうございます!」と言い、ドライバーさんは「頑張ってね!」と言う。私と、私を乗せてくれた人との関係とはなんとも不思議なものだ。そして確実に言えることは、人が人を助ける時に、お互いの名前は必要ないのだということである。

 

本音を捕まえる

人間関係というのは極めて表面的なもので、曖昧・漠然たるものだ。友達、先輩、親、恋人。友達とは何なのだろうか。その基準は何処にあるのだろうか。年上だから先輩なのだろうか。先輩・後輩の境界線は経験と実力の差で線引きされるのだろうか。それらはひどく曖昧で、誰の目にも明瞭に映るものではない。

私は、多分、それらの境界線はその人との【心理的な距離】にあるのだと思う。この人とは一緒にいると楽しいから友達だとか、この人とは話していて落ち着くから親友だとか、この人は心から尊敬できるから先輩だとか、この人のためならば全身全霊、身を捧げることが出来るから恋人だとか、極端になるけれどそのような、自分の心が叫ぶ本音みたいなものが人間関係の本質を成しているのだと思う。しかし、そのような心理的な距離というのは他の誰でもない『自分』にしか認識することはできず、しかも厄介なことに自分自身でさえ分からない(認識できていない)ことの方が多い。人間関係というのは極めて曖昧で、掴みづらく、捉えどころのないものだ。

 

関係の濁り

この人と一緒に居て、自分がどう思うのか・どう感じるのかを見澄ましてみる。自分の心の本音に耳を傾けてみる。そのような自分との対話を通して、人間関係というのは自覚されていくのだと思う。しかし、人間関係には複雑な心理が絡み合っている場合も多く、「この人と居ても楽しくはないけれど別に一緒に居たくないという訳でもない」とか、「この人は別に好きではないけれど嫌いでもないから一緒に居てもいいかな」とか、【なんとなく】で成り立っている関係も存在する。

私はそのような関係(なんとなくで成り立っている関係)に【濁り】を感じる。その濁りは、必ずしもその人との関係性に害悪をもたらすわけではないけれど、その関係性が長引けば、いつしかその濁りはドロドロとした粘着性を帯びるようになって、自らの精神を摩耗させることもある。「(恋愛的な意味合いを含めずに)あの人は私のことをどう思ってるんだろう」などと邪推し始めることの根底には、その【濁り】が(粘着性を帯びて)沈殿している。

 

【白珪尚可磨(はっけいなおみがくべし)】~毎日磨き続けることで輝く~

「白珪」とは、それ以上磨きようもないような美しさを持つ玉のこと。そんな完璧な玉であっても磨き続けることで、輝きを保つことができるのです。

それはまるでオリンピック選手のよう。誰から見ても完璧に見える彼らも、毎日基礎的な練習を欠かしません。それによって素晴らしい結果を残し続けているのです。

結果を残すために限界はありません。毎日自分を磨き続けることで、いつも輝きを放つことができるのです。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

このような、なんとなくで成り立つ妥協の関係をどうするべきなのかは、正直私にも分からないのだけれど、ここで注意しなければいけないのは、絶対に閉鎖的になってはならないことだと思う。この先何十年も生きていれば、妥協せざるを得ない関係など山のように積み上げられていくのだろう。そのような状況の下、全ての妥協した関係を締め出して自分の殻に閉じこもってしまえば、多分、自らの感受性・センスが鈍るような気がしている。人間関係の本質を成すのは、自らの心が叫ぶ本音だ。この人と一緒に居てどう思うか、どう感じるか。それを鋭敏に感取する自分を磨くことの方が大切なのかもしれない。

 

 缶コーヒーをいただく。

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芋菓子もいただく。この芋菓子は非常に美味しいので(一人では食べきれないので)、ドライバーさんとシェアしながら食べる。甘くて美味しい。

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感受性を磨く~他人との関係に悩むよりも、自分との関係を磨け~