コミュ障を治す必要はない~つまらない嘘をつくよりも、面白い恥辱を晒せ~

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本日からお正月休みを終えて、再び私はノープランヒッチハイク旅に出る。期間は特に決めておらず、目的地もない。今のところ私は近畿・北陸あたりを放浪しようと考えていて、今現在の所持金は27,371円。この資金で3月末まで乗り切りたいと考えている私にとって、27,371円は決して潤沢な資金とは言えないけれども、質素倹約の四文字を脳に強く叩き込んでできるだけ自分のために使う金額は減らしていきたいと考えている。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていきたいと思います。

 

写経が面白い

私は最近、写経にハマッている。自分の好きな文章、読んでいて気持ちの良い文章などを紙やパソコンに写経すると、文章のリズムや文体の美しさをより一層深く感じることができる。どちらかと言うと私はタイピング写経の方を好んでいて、暇さえあればひたすら無心でキーボードをカタカタしていたりする。

 

「そのまま」を伝える

好きな人の前では強がってみせたり、友達の前では見栄を張ったり、私は何処かそのような気質を持ち合わせているようだ。そしてこういったことは私だけに限ったことではないのだと思う。人は元来、思ったことをそのまま伝えることを得意としていないのかもしれない。多分、思ったことを誰かに吐き出すことができなくなると、人は内面から腐敗していくのだと思う。怒り、憎しみが(言動ではなく)行動となって表れるのは、誰かにそれを言動として吐き出す術を失った時なのだろう。

恥ずかしかったことを恥ずかしいかったと、面白かったことを面白かったと、悲しかったことを悲しかったと、正の感情も負の感情もまるごと全部伝えることのできる人の存在はやはり大きい。そういう人の存在は、ひどく凝り固まった自分の心をほぐす薬となり、それがほぐれた瞬間に人は「この人と話せて良かった」と心の底から思うことができるのだろう。そのような人の存在は、恋人でも、親友でも何でも構わない。自分の感情を誰かにそのまま伝えることは難しいけれど、でもだからこそそれをそのまま伝えることのできる人の存在は、自分の人生をより生きやすく生きていくためにも重要なのだと思いました。

 

「そのまま」の難しさと面白さ

自分の気持ちを相手にそのまま伝えることが難しいのと同様に、見たもの・感じたことをそのまま相手に伝えることも難しい。そもそも、自分が見たものや感じたことをそのまま相手に伝えるという行為自体不可能に近いことなのかもしれない。見たもの・感じたことを誰かに伝えるためには、この世のあらゆる物質を介さなければならないけれど、それら物質が伝えることのできる純度にはやはり限界がある。

写経や静止画の面白いところはそこにあって、「そのまま」を表すことの中に宿る不可能とも思わせるような難しさに、私は奮起するのである。

 

つまらない嘘をつくな!

私はヒッチハイクを通して密かにコミュ障を直そうと試みたことがあるけれど、見事に失敗に終わった。そのままで在ることや、そのままを誰かに伝えることでさえ困難を極めるのだから、ましてそのままではない自分を偽るなんて甚だ無理な話である。無理な話ではあるけれど、多分、自分を偽ることの方が楽だ。自分を偽るということは、そのままの自分を伝えることの難易度の高さに屈したということである。自ら地に膝をつけたということである。敗北したということである。負けたということである。人は、自分以外の何者かである必要はないし、人間を人間というカテゴリー以上に細分化してはならない。(過去記事:人間以外の何者かになる必要はない。 )人見知り・コミュ障である自分を、人見知りではない・コミュ障でもない自分に偽って相手と接しようとすることは愚の骨頂。人は、つまらない嘘をついてはならないのだ。

 

 星野道夫『イニュニック〔生命〕-アラスカの原野を旅する-』

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イニュニック(INUUNIQ)はエスキモー語で〔生命〕の意味である

星野道夫『イニュニック〔生命〕-アラスカの原野を旅する-』は、岡山県高梁市にて住み込みボランティアをしていた際に頂いた本である。この本に出てくる表現は、アラスカの大自然を如実に描写しながらも、登場人物の視点に広がる風景を幻想的に魅せてくれるために、読んでいて、写経していて気持ちが良い。

 マイナス五〇度の寒気の中、チュルチュルとさえずりながら、一羽のコガラが目の前を飛び抜けた時の驚きを鮮明に覚えている。あらゆるものが凍りついた世界で、なぜさえずることができるのだろう。十センチほどの小さな身体の中で、どうやって生命(いのち)の灯を燃やし続けることができるのだろう。

僕はアラスカの冬が好きだ。生きものたちは、ただ次の春まで存在し続けるため、ひたむきな生の営みを見せてくれる。それは自分自身の生物としての生命を振り返らせ、生きていることの不思議さ、脆さを語りかけてくれる。自然と自分との壁が消え、一羽の小鳥に元気づけられるのは可笑しなことだろうか。

~星野道夫『イニュニック〔生命〕-アラスカの原野を旅する-』~

 

【平常心是道(びょうじょうしんこれどう)】~ありのままの心で、ありのまま生きる~

悟りの道とは何か。南泉という禅師は、弟子からの問いに、平常心、つまり普段通りの心でいることだと答えました。人生、つらく悲しいこともあります。快楽への誘惑も、思わぬアクシデントもあります。そんななかでも、普段どおりの落ち着いた心で日々を過ごす。それが悟りの境地だということです。南泉は、悟りの境地に至ろうとする気持ちでさえ、悟りには背くものだと続けます。平常心でいようと意識すること自体がすでに平常心ではないのです。この境地に達するためには、普段から自分を見つめ、善い行いをし、心を磨いておかなければなりません。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

ありのまま、そのままを伝えることは果てしなく難しいけれど、だからこそそこには果てしない面白さがある。難しさと面白さは表裏一体なのだ。コミュ障を治す必要はなく、自分を偽る必要もない。つまらない嘘をつくぐらいならば、面白い恥辱を晒した方が8000倍マシだと思うし、面白い恥辱を晒すことは、自分だけが織り成すことのできるエンターテイメントへと変化する。

 

祖母の書いた仏。何度見ても上手い…。

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コミュ障を治す必要はない~つまらない嘘をつくよりも、面白い恥辱を晒せ~