人間以外の何者かになる必要はない。

「畑と大刀洗ブルー(青空)」のフリー写真素材

先日は、山口県下関市の友人宅でゴロゴロする時間を過ごしました。12月からノープラン旅に出発いたしまして、いつの間にか一週間が経過しており、「あぁ、時の流れははやいものだなぁ…」ということをしみじみ感じております。と同時に、移動することもなく、特に何もすることもなく、ただひたすら家でゴロゴロできる時間も悪くないなぁと思いました。

本日も引き続き、感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

「人間」を「人間」というカテゴリー以上に細分化してはならない

ヒッチハイクをしておりますと、様々な人に出会い、いろいろな人とお話しをする機会に恵まれます。そうなりますと必然的に、ドライバーさんから投げかけられる質問も多くございまして、その中には必ずと言っていいほど、「(君は)大学生??」という質問がございます。

私は元気に「はい!」と答えまして、ドライバーさんも何の気なしに質問したのだと思いますが、私はこの質問があまり好きではなく、なんと言いますか、「君は何者ですか?」と尋ねられている感じがするのでございます。

別に「(君は)大学生?」と尋ねられることだけに限ったことではなく、現代では様々な場面で、「公務員ですか?」、「役職は何ですか?」みたいな、「人間」が「(人間とは別の)何者か」になることを強いるような(別に強いているわけではないけど)、そういう質問が多いように感じております。

私は「別に私が何者でもいいではないか。私は人間だ!」と、思うわけでございます。そういう類の質問をすることは、(無意識に)相手を値踏みする行為だと思っておりまして、「この人はこういう職業の人だからこうだ」、「この人は社長だからスゴイんだ」みたいに、「人間」というカテゴリー以外での、その人が持つ価値がどれほどのものなのかということを確認する行為なのだと思います。

「人間」を「人間」というカテゴリー以上に細分化してはならないというのは、そういうことでして、私は、「人間であることで、もう、ただそれだけでいいではないか!」と思っておりまして、この地球上に人間として生まれたこと。それ自体に価値があることではないか!と、申し上げたいのでございます。

 

必ずしも何かをする必要はない。何者かになる必要もない。

人は、肩書きや人間関係などの表面的なものに騙されやすい生き物でございます。その人がどういう職業に就いていて、どういう役職なのか、この人の周りにはどういう人がいて、どういう人との関係があるのかという、所謂社会的な肩書きというもので、人は人の価値を決定しているような気がするのでございます。

しかし、本来人は何かをする必要もないですし、「人間」以外の何者かになる必要もございません。この地球上に生きる人間以外の生物も、その生物以外の何者かになることはありません。アリはアリですし、バッタはバッタですし、ライオンはライオンでありまして、それぞれの命ある生物は、この地球上で生きている。ただそれだけなのでございます。

故に人が(人だけが)、何かをする必要があって、何者かになる必要があるというのは幻想でございまして、アリやバッタやライオンのように、この地球上で生きているだけで良い。私はそのように思うのでございます。

 

何もしていない幸せ=生きている幸せ

肩書きだけでその人の価値を決定する(値踏みする)ような社会では、「何もしていない人間は悪だ!何の価値もない!」という錯覚に陥りやすく、そのような錯覚から抜け出せなくなると、人は簡単に崩壊していってしまいます。

とは言いましても、人生には完全なる選択の自由が存在しております。そのような肩書きを生きる喜びとして生きる人も少なからずいるのだろうとは思いますが、ただ、それを、他の誰かに強制した時点で、暴力になるのだと思います。

先日私を家に泊めてくれた友人は、バイトをしておらず、親の仕送りだけで生活できておりまして、休日はゴロゴロする生活をして、その穏やかな時間に感じる幸せを噛み締めているのだ言いました。そして多くの人は、その友人に「バイトしろよ」だとか「働けよ」などと働きかけてくるらしいのですが、私は、別に生きているのならそれで良いのだと思っております。ゴロゴロする時間に幸せを感じているのなら、それで良いのだと思っております。

【何もしていない幸せ=生きている幸せ】なのだなということを感じました。

 

【一無位真人(いちむいのしんじん)】~本当の自分を大切にする~

学生時代の友達と久しぶりに会うと、仲の良かった友達が出世したことを知って落ち込んだり、キラリと輝く高級時計を見て、いい暮らしをしてるんだなとうらやましがったり、ついつい地位や富を比べてしまいます。

人と比べて足りないからといって悲しむことはありません。誰しも体のなかに「一切の立場や名誉、位などにとらわれない(=無位)、仏性を持った自分(=真人)」がいます。自信を失ったのは表面的な自分。本来の自分そのものは傷つかず超然としているのです。

そのことに気づけば、世間の価値観から解放され、本当の自由が得られます。本来の自分を大切にして、いきいきとした人生を送りましょう。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

「人間」を「人間」というカテゴリー以上に細分化してはなりません。人間だからと言って必ずしも何かをしなければいけないというわけでもありませんし、人間以外の何者かになる必要もございません。この地球上で人間として生まれたこと。それ自体に価値があり、自分が思う幸せな時間を過ごすことができれば、それで良いのだと思っております。

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山口県下関市にあります赤間神社でございます。

水天門は竜宮城を模した門なのだそうです。

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人間以外の何者かになる必要はない。

 

ではでは、おつぽん!