永遠に続く恐怖は存在しない。

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先日は、広島市内から山口県下関市へと、合計4台の車で一気に移動して参りました。24時間営業のマクドナルドに滞在しますと、当然のことながらシャワーを浴びることができません 。それに加えてそろそろ衣服の洗濯もしなければいけないということで、下関で下宿をしている友人を頼りに、私は早朝7時からホワイトボードを掲げて、いつものようにヒッチハイクへと繰り出しました。

早朝7時に吹く風は、服をたくさん着込んでいても身震いする程に冷たくて、「私は果たしてこの厳しい冬を乗り越えることができるのだろうか」という不安が脳裏をよぎったりすることもございます。

ただいま絶賛宿の募集を行っておりますので、Twitter、Facebook、もしくはこちら(hasehase0202@gmail.com)まで、トイレに行くような感覚でお気軽にご連絡くださいませ。

本日も引き続き、旅で感じたことを3000字以内で綴っていこうと思います。

 

【自然的な人間】の開放

以前佛通寺を訪れた際に、実はわたくし、人生初の大冒険(大袈裟に言いますと遭難)を経験いたしました。紅葉のピークはとうの昔に過ぎており、さらに平日に佛通寺を訪れました私は、ヒッチハイクをしようにも(車が少なすぎて)できないことに気が付きまして、車で帰ることが困難となってしまいました。(当時は広島県三原市木原町在住の方の家に帰る予定でした。)

どのようにして一般道路に出ようかと、Googleマップで検索しておったのですが、案の定私は方向音痴の資性を発揮しまして、そのまま大冒険をすることになったのでございます。

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四方八方木々で囲まれた道路を、私はただひたすらに歩いておりますと、次第に「もう、どうにでもなれ!」と自暴自棄になって参りまして、周りに誰もいないことをいいことに、私は大声で叫び始めました。

「ああああああああああああああああああああ!!!!!」と叫ぶと、様々な問題や、様々な不安や、様々な悩みが、自分の体から流れ出ていくような感覚を覚えまして、と同時に、そういったもの全部を自然が吸収してくれているような感覚も覚えまして、「あぁ、気持ちいい…」と、私はついに、叫び続けることに喜びを覚えるようになってしまいました。

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普段私達は非自然的な【人間】という視点から世界を見ておりますゆえ、「自然」というカテゴリーから「人間」が除外されているみたいなことを自覚することは難しいのでございます。しかし当然のことながら、人間もまた「自然」の一部でございまして、だからこそそのことに気付いたときに(人間も偉大なる自然の一部であることに気付いたときに)、不思議な安心感や喜びを覚えるのだと思います。

常時他の誰かに囲まれている環境に身を置いておりますと、そこで生じる不安や悩みを溜め込みがちになってしまい、気付かぬうちに自分は疲れておった!といったことがしばしばございます。そういうときに【非自然的な人間】から解放され、【自然的な人間】を開放することは、人間に多大なる癒しを与えるのだということを、身をもって学ぶことができました。

 

永遠に続く恐怖など存在しない

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私の大冒険(遭難)はまだまだ続きます。途中「昇雲の滝まで0.7km」という看板が目にはいりまして、「そうだったのか、私は滝を見に行く道中だったのか」と、ほぼほぼ(肉体的な疲れで)意識は朦朧としておりました。

山道は水分をたっぷりと含んでぬかるんでおりまして、木の葉で埋め尽くされたその道は、ますます私を「帰れない」という不安へと導くのでございました。

こちらが昇雲の滝でございます。

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昇雲の滝に到着したのは良い(?)のですが、ここで行き止まりだと気付いた私は「引き返さないといけない」という絶望に震えました。ここまでやってくるのに約一時間半は歩きましたので、「絶対に引き返したくない!」という謎の反抗心が次第に湧いて参りまして、私は、滝を、超えました。

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写真ではなかなか伝わりにくいのですが、思ったよりもこの岩場、スベスベしてまして、渡るには困難を極めました。(と言いますのも私は80Lのザックを背負い、ホワイトボードを持ち歩いている。)それに加えて「滑ったら濡れる。落ちたら死ぬ。」という恐怖と戦いながらの苦行でもありましたので、私はその緊張と恐怖に神経をすり減らしながら、岩場を渡っていきました。

なんとか無事に渡り切った私は、肉体的にも精神的にも疲れ果てておりましたけれども、無事に渡り切ることができたことに思わず安堵の吐息が漏れ出てしまいました。この苦行のあと、一般道路に出ることができた喜びは計り知れません。私は、あのときの恐怖と戦っていて良かったなと、本当に、心の底から思いました。

永遠に続く恐怖というものは、この世にはございません。恐怖というものは必ず一時的なもので、長い目で見れば、非常にちっぽけなものなのでございます。

 

 【冷暖自知(れいだんじち)】~経験しないと分からない~

水の温度は、手で触れたり、飲んでみないと分かりません。人は「ひんやりと冷たいよ」と教えてくれても、鵜呑みにしてはいけません。あなたが飲めば「ぬるい」と感じるかもしれないからです。感性は人によって違うので、何事も自分で経験をしてみないと分かりません。

誰かから聞いて、分かったつもりでいても、実際に経験するまでは、本当に理解したことにはならないのです。

どんなことも、面倒くさがらず、自分でやってみましょう。人は、実際に体験することで、多くの気づきを得るのです。たくさんの経験を積めば、あなたの世界が豊かになります。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

何度も書いたように思いますが、恐怖は自分で経験してみないとわかりません。昔怯えていたものが、今も必ずしも怯えるものであるとは限りません。そして、永遠の恐怖というものは存在せず、恐怖は必ず一時的なものなのです。

 

原田マハ『生きるぼくら』 

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でもね私はいつも思うの、稲作って、ほんとうにすごい仕事よ。だって、どんな人であれ、日本人なら、お米が必要でしょう?どんな職業の人でも、お年寄りでも若者でも子供でも、お金持ちでもそうでない人でも。私たち、みんな、ご飯が大好きでしょう?そのお米を作る仕事。何よりすばらしいことなんじゃないかしら、って。

お米の一生は、なんだか、人の一生に似ているのよ。

「なんだか、無性にありがたい気分になるんだよ。ほかの野菜の収穫のときでも、もちろんそうなんだけど……やっぱり、お米は特別だね。生きてる証しっていうか。自然と、命と、自分たちと、みんな引っくるめて、生きるぼくら。そんな気分になるんだ。」

へえ、と人生は思わず声を漏らした。

生きるぼくら。なんだかヘンテコだけど、そうとしか言いようのないフレーズ。その言葉が、ふっと手を伸ばして、人生の心の表面にそっと触れた気がした。

~原田マハ『生きるぼくら』~

引きこもりだった主人公「人生」が、母親の失踪、米作り、様々な人との関わりなどを通して、生きる喜びを獲得していく物語です。この本を読んでおりますと非常に清々しい気持ちになります。ぜひ、読んでみてください。

 

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佛通寺周辺の自然。

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永遠に続く恐怖は存在しない。 

 

ではでは、おつぽん!