人に迷惑をかけずに生きろ!は、死ね!と一緒。

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先日は広島県三原市木原町からスタートいたしまして、そこで昨晩泊めていただいた方には「またこっちに寄ることがあれば、いつでも泊まっていいけぇ」と言って下さった。その方の優しさは、もう本当にハンパではなく、私は「ありがとうございます!」を何回言ったかわかりません。

食料も大量に…(涙)

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しかし、そのような幸運も長くは続かず、先日は本当に災難続きでございました。

本日は、それら災難に関するお話も交えながら、今回の旅で感じたことを引き続き3000字以内で綴っていこうと思います。

 

全ての人間は、ひとりでは生きていけない

私は、いや、【全ての人間は、ひとりでは生きていけない】ということを、私は旅に出てから強く強く感じております。「私は独立している!」、「私は自立している!」と謳っている人でも、その人が身に付けている服は他の誰かが作ったものでありますし、また、当たり前のように住んでいるいる家も、建築家が設計し、大工が建てたものなのでございます。このように私がブログを更新できていますのも、このパソコンならびに部品を製造してくれた方々、二十世紀最大の発明とも言えるインターネットを開発してくれた方のおかげなのでございます。このように考えますと、完全に、ひとりで生きていくことなどもはや不可能でございまして、全ての人間は、何かしらの形で他人からの恩恵を受けているからこそ、生きることができているのだなと思いました。

 

人に迷惑をかけずに生きろ!は、死ね!と一緒

【全ての人間は、ひとりで生きていけない】ということはつまり、【人に迷惑をかけずに生きていくことは不可能である】ということでございます。しかしながら今の日本の教育では、人に迷惑をかけてはいけません!ということが当たり前のように教えられておりまして、私はここに異議を唱えたいと思っております。

人に迷惑をかけずには生きていけない人間が、人に迷惑をかけずに生きろ!と言われているのは、極端に言いますと、「死ね!」と言われているようなものでございまして、そもそも人に迷惑をかけながら生きている人間が、人に迷惑をかけずに生きろと言っていること自体おかしな話なのでございます。

(人に迷惑をかけているという前提を無視して)人に迷惑をかけずに生きましょう!と教えるのではなく、(人に迷惑をかけているという前提を認めて)人に迷惑をかけながら互いに助け合って生きていきましょう!と教えることが、今の日本の教育に必要なことなのだと思っております。

 

【慣れ】は感動を奪う

これも、旅に出てから強く感じるようになったことでございますが、人間はどんな環境でも適応しようとする(慣れようとする)生き物でございまして、そしてその【慣れ】というものは、人間から感動を奪ってしまうのでございます。

旅に出てからというもの、私には宿がございません。先日は宿の確保ができなかったために、このブログを24時間営業のマクドナルドで書いておりまして、私はこのときに初めて、「今までの自分は家があることに慣れてしまっていて、家があるという感動を失ってしまったまま生きてきたのだな」ということに気付くことができました。「人は、大切なものを失ってから大切なものに気付く」とよく言われますけれども、私自身の体験を通して、この表現には何かが物足りないのではないかと感じております。

と言いますのも、【大切なもの】に気付くためには、【大切なもの】を失う前に、【大切なもの】に慣れてしまうという過程が存在するのだと(個人的に)感じているからだと思います。

ですので私は、「人は、大切なものに慣れてしまってから大切なものを失ってしまうが故に、大切なものに気付く」という表現こそが、【大切なものの大切さ】を説く最も良い表現なのではないか?と思ったのでございます。

人間の性質上慣れようとすることは仕方のないことではございますが、それに伴って感動も失ってしまうというのは、なんとももったいないことだなぁと、もどかしく感じるほかありません。

 

~余談~【度重なる災難】

私は先日の宿が確保できなかったために、広島県広島市宇品にあります24時間営業のマクドナルドに滞在しておりまして、そこで一晩過ごそうかと思っておったのですが、タイミングの悪いことに、その日は23時~6時まで機械のメンテナンスが予定されているらしく、そこで夜を明かすことは出来ませんでした。

さらに、外に出ると雨がポツポツと降りだしておりまして、私の気分は忽ち、ジェットコースターのように猛スピードで急降下していきました。

それで仕方なく、広島市内の本通にあります24時間営業のマクドナルドへ向かって、とぼとぼと重い足取りで歩いておったのですが(徒歩で約1時間)、そのとき突然!リュックの肩かけを固定するプラスチックが破損しまして、突如として80Lのザックを背負うことが出来なくなるというハプニングが発生いたしました。

私はこれら災難のトリプルパンチ(一時間の徒歩、雨、ザックの破損)で、精神に多大なるダメージを受けるのかと思いきや、こみ上げてきたのは【笑い】でございました。ザックの肩掛けのプラスチックが破損したとき、私は思わず声を上げて笑っておりまして、「なんなんだこれは!」という、ノープランが引き寄せる【意味不明な笑い】にも通ずる【笑い】が、いつの間にか私の心を、(意味不明な)高揚感で満たしておりました。(参考記事:私はノープランを愛しております。)

私はこの度重なる災難を通して、自分はいつの間にか(無意識のうちに)他の人から優しさを頂くことに対して【慣れ】を感じつつあったのではないか?と、今までの自分の旅を振り返るとともに、自分を戒めることができました。

※ザックは、工夫してなんとか背負えるようになったので問題ありませんでした。

 

【無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんそう)】~もともとは何も持っていなかった~

人は生きていくなかで、物やお金、家族、友人、あるいは社会的な地位など、さまざまなものを手に入れ、それを自分のものだと認識します。そうなると、つい、手に入れたものは失いたくないという思いが湧いてくるものです。

生まれた時は、何も持っていなかったのです。手にしたものに執着せず、何もかも捨て去ってしまいましょう。そうすることで無駄な心配事はなくなり、心に余裕が生まれます。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

 人間はもともと生まれたときから何も持っておりませんでした。だからこそ、何も持っていないからこそ、何かを持っている人を頼って、それこそ【迷惑】をかけながら、生きていくのだと思います。

人に迷惑をかけずに生きろ!は、死ね!と一緒でございます。

人に迷惑をかけるな!という言葉が飛び交う社会よりも、人に迷惑をかけながら人は生きていくのだから、お互いに助け合って生きましょう!みたいな社会の方が、圧倒的に生きやすいのだろうなぁと思っております。

 

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広島県呉市にございます大和ミュージアム付近にある潜水艦。

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(見にくいですが)広島市平和記念公園前の噴水に架かる虹。

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昔を残す原爆ドーム。

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 人に迷惑をかけずに生きろ!は死ね!と一緒。

 

ではでは、おつぽん!