やさしさは円のように広がってゆく

 

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今現在、岡山県倉敷市から広島方面に行こうと、それ以外はノープランで流されるがままにヒッチハイクをしている道中である。岡山県でのヒッチハイクは困難を極めていて、普通に1時間などが経過していく。岡山県民の厳しさに心が折れそうにはなるものの、その分乗せていただいたときの嬉しさはハンパではない。

 

やさしさは広がる

ヒッチハイクに成功し、乗せてくれた方といろいろな会話を交わす中で僕は、どうして僕を乗せようと思ってくれたのかという質問をよくする。すると、ある人が「実は私の息子もヒッチハイクをしていて、いろいろな方に乗せてもらって、しかも泊めてもらったりもさせていただいていて、これは親である私が恩返しをする番なのではないかって、思ったからかな~」みたいなことを語ってくれた。僕はこのお話に物凄く感動して、「こうやってやさしさは広がっていくんだろうなぁ」ということを生で感じた。

 

やさしさを乗せたお金の循環

以前奈良方面へとヒッチハイクをした際に、僕を愉快に乗せてくれたおばさまがいた。おばさまは、僕の残金(当時79円)を聞いて驚愕し、4000円もの大金を僕に渡してくれた。「お金は天下の回りものや!」という温かい言葉を乗せたそのお金を、僕はありがたく頂戴した。

西日本一周を達成したヒッチハイクの旅の際にも合計5000円もの大金を頂いた。その5000円にも、「ヒッチハイク頑張ってね」、「これでお昼ご飯食べなさい」というやさしさが乗っていた。本当に、お金は優しさを乗せて循環しているのだなぁということを思う。気持ちを乗せた、優しさを乗せたお金をもらうと、非常に嬉しい気持ちになって、「生きていて良かった!!!」と本気で思えるようになる。僕は、やさしさを回していきたいと思うと同時に、回していけるような存在になりたいと思った。

 

気持ちを乗せていないお金、優しさを乗せていないお金は、冷たい

お金は人のやさしさや感情を乗せて運ぶ。「ありがとう!」「これで何か食べなさい!」こういった言葉とともに与えられるお金は何処か温もりをもっていて、非常に嬉しい。これはものすごく個人的な意見だけれど、現代社会で回っているお金は温もりを帯びていないように感じていて、もらっていても嬉しくない。嬉しくないというか、当然かもしれないけど、ヒッチハイクなどを通して頂いたお金みたいなうれしさはない。お金を貰う(働く)側としても「働いたのだからもらって当然」で、お金を渡す(人を雇う)側も「働いたからそれ相応のお金を払うのは当然」みたいな、うまく言えないけれど、そういう冷たさを感じる。そういう意味では、自分が働いて得たお金にうれしさを感じないのは、自分にも「働いたからお金を貰って当然」という考えがあるからなのだろう。

もっとこう、やさしさを乗せたお金を貰う機会みたいな、そのやさしさを直接肌で感じるみたいな機会が増えれば、もっともっとやさしさは広がっていく(循環していく)んじゃなかろうかということを思う。

 

全ての物質は、人間の気持ちを乗せて循環していく

これはものすごく、人間中心主義的な考え方になるけれど、全ての物質は、人間の気持ちを運ぶために存在するのかもしれない。ということを最近思う。

人は、大切な人に自分の気持ちを伝える際に、お礼としてプレゼントをあげるときがある。また、好きな人に、「好きだよ」と言葉にして伝えるときがある。人がだれかに感謝や愛を伝える際には他の物質が必要になってくる。というのも、プレゼントを構成する物質、言葉を伝えるための空気、それらすべての物質がなければ人の想いは伝わらないからだ。言葉にしろ、プレゼントにしろ、バレンタインデーのチョコレートにしろ、それら全ての物質が、人の想いを乗せて循環していると思うと、ちょっと世界は面白くなる。

とすれば、人間がこの地球上に生まれたのも、何かを乗せて循環させていくためなのかもしれない。

 

心の余裕は、人を救う

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兵庫県龍野市で乗せてもらったおばさまに、お茶とお菓子を頂いた(指が写ってるけど)。「これ、どうせ無料でもらったやつだから、あんたにも無料であげる。」僕は、無料という言葉の響きが好きなのかもしれない。無料で何かをもらうと、無条件に、うれしい。そしてまた、無料で何かを与える側にも、もらう側に共通した「喜び」があるのだろう。無料で何かを与える人間は心に余裕を持っていて、その余裕は時として、周囲の人間を救い、楽しませ、明るくしていくのだなと思った。ヒッチハイクで移動ができているのは、まさにそういった、心に余裕を持った人の存在のおかげである。

 

【〇(円相)】~始まりは終わり、終わりが始まり~

最近は、禅語に関する本を読んでいる。禅語とは、禅宗の僧侶たちの逸話や経典などからとられた言葉のことらしい。何百年前の人々が綴った言葉には、真理に迫っているものが多く、「おおおお!!確かに!!」と共鳴することが頻繁にあって、読んでいて非常に面白い。

円は、足りないところも余分もない、始まりも終わりもなく、循環しています。森羅万象や無限に広がる宇宙、絶対的な真理の象徴であり、言葉では説明できない悟りも表しています。

春がきて、夏になり、秋がきて、冬になり、再び春が訪れるように、人にも寿命が訪れ、新しい命がどこかで始まる。生も死も循環していて、あなたもこの円の中にいるのです。大きな循環のなかで、生かされているのだと実感し、自然に逆らうことなく生きていきましょう。

~武山廣道『くり返し読みたい禅語』~

やさしさやお金は、円のように循環していく。やさしさの始まりはなんだったのだろうか、お金の始まりはなんだったのだろうか。やはり人は、人間自身が何かを乗せて循環していく存在というよりも、人間は、(人間以外の)他の物質に何かを乗せて循環させていく存在なのかもしれない。

 

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岡山県の吉備津神社、国分寺を訪れました。

木の生命力を感じます。

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やさしさは円のように広がってゆく。

 

ではでは、おつぽん!