怯える必要のないものに、人は怯え過ぎている。

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ギラギラと照り輝く太陽の撮影に成功した。これが一日の終わりを告げる夕日だとは到底思えない。この太陽の撮影に成功したのは、僕が家を出た日のことだった。

家を出て、今現在友達の家を転々としている僕は、メンタル的により強くなったと感じている。おそらく12月以降の移動手段はヒッチハイクになるので、僕は常日頃からホワイトボードを持ち歩くようになった。80Lのザックを背負い、ホワイトボードを提げている僕の姿は、周囲の人間にとっては異様でしかないだろう。

<過去記事>ヒッチハイクの目的地ボードはスケッチブックではなく、これからはホワイトボードだ!

 

自分を無意識に縛るものを捨てる

僕はヒッチハイクをすることを通して、良い意味で自分を捨てることができたと感じている。自分の意志で決断し、行動する際に邪魔となるのは、周囲の人間の反応を気にしてしまう弱い自分であり、ちっぽけな自尊心なのである。ヒッチハイクをすれば、いかに自分が周囲の反応を気にしていたのかが嫌というほどに自覚され、半ば強制的にメンタルが鍛えられる。なので、周囲の目を気にしてしまう弱い自分を捨て去りたい方には、ぜひともヒッチハイクをオススメする。

 

怯える必要のないものに人は怯え過ぎている

ヒッチハイクを通して鋼のメンタルを手にいれた僕は、それ故電車の中にでもコンビニの中にでもホワイトボードを持ち込めるようになった。先程、ヒッチハイクをすれば嫌というほどに自分が周囲の反応を気にしていたかがわかると述べたけれども、それと同時に、周囲の人間が自分に対してどれほど無関心であったのかもわかる。人は想像している以上に、怯える必要のないものに対して怯え過ぎているという節がある。これは僕にとっては大きな気付きとなり、良い意味で、僕は周囲の人間に対して開き直るようになった。

周囲の人間に開き直ることができれば、基本的に傷つくことはない。僕がホワイトボードを持ち歩くことに対して、周囲の人間がどれだけ心の中で罵倒しようとも、その罵倒はその人の心の中だけに留まり、僕の心の中に介入してくることはない。僕のメンタルが傷つくのは、おそらくその罵倒が空気を振動させてダイレクトに僕の心の中まで響いたときだと思う。しかし、電車の中でもコンビニの中でも周囲の人間が僕に対してリアルに罵倒を浴びせてくるということはまずない。見知らぬ赤の他人をリアルの世界で罵倒するほど、周囲の人間は暇ではない。人は他人に対して無関心なのである。

 

人間関係の奴隷にだけは絶対にならない

怯える必要のないもの(実体のないもの)に対して、人は過剰反応し過ぎていて、人の心は無駄に摩耗していっている気がする。人間関係も、人間が怯え過ぎているものの一つに含まれるもので、現代社会に適応するための一番厄介な壁となるのが、人間関係である。今や人間関係無しに、人は生きていくことはできない。それこそ人間が社会的動物である所以であり、これからも人は、人間関係に悩みながら人間関係に救われながら生きていくことになるのだろう。家を出た僕にとっても、人間関係は非常に重要なもので、おそらく僕は、他の人間がいなければ(僕を助けてくれる人がいなければ)生きていくことができないだろう。ある意味人間関係は僕にとって生命線である。

しかし僕は、僕にとって生命線でもある人間関係に媚び続けながら生きていくつもりはない。僕の中に存在する絶対神「自分」(自分軸)を無理やりねじ曲げようとする人間とは、心理的にも物理的にも距離を置くようにしている。人間関係に縛られ身動きがとれなくなってしまった瞬間から、人は猛スピードで内面から腐敗していき、忽ち取り返しのつかないことになると感じている。

人間関係の奴隷にだけは絶対になってはいけないと思った。

 

 怯えているものに立ち向かうことでしかわからない「気付き」がある

人間関係、肩書き、周囲の目、それら実体のないものに漂う「何か」から、人は必死に自分を守ろうとしている気がする。その「何か」を言語化することはできないけれど、それに誤って触れてしまえば、自分の精神が簡単に崩壊してしまう予感がする。だからこそ人は人間関係や肩書きや周囲の目に怯え、必然的に自分を守る側にまわってしまっている。

この現状を打破するためには、やはり1回傷付くことが必要なのかもしれない。今まで怖いと思っていたものが、案外怖くなかったという経験は誰しもあるのではないだろうか。また、今まで確かに怖かったものが、今ではもう怖くなくなったという経験は誰しもあるのではないだろうか。僕がヒッチハイクに挑戦することを通して、周囲の目を気にしなくなったように。そして、周囲の人間が自分に無関心であるという気付きが得られたように。

 

人は、怯える必要のないものに必要以上に怯え過ぎていて、無駄に精神だけを摩耗させ続けてしまっている。この解決策としては、怯える必要のないものに立ち向かうこと(1回傷付くこと)が重要であり、その経験を通して人は、怯える必要はないのだということを身をもって体感する。

 

 
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祖母の描いたこの絵に、僕は何故か猛烈に惹かれます。無駄に何かに怯えたりするのはもうやめよう。そう思うようになりました。