人生には完全なる選択の自由が存在する。

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最近僕が感じていること、思っていること、考えていることを大雑把にまとめて書いていこうと思います。

 

 

僕の人生を、僕の代わりに他の誰かが生きることはできない。

現代には、周囲からの人生に関するアドバイスが溢れ過ぎていると思う。自分の選んだ選択肢には必ず周りからのアドバイス(時には批判)が伴う。誤解を恐れずに言えば、他人の人生に口を挟む人間が多いのだ。僕はこの状況に疑問、というか違和を感じていて、他人が自分の人生に過度に干渉してくる状況下では「自分はこうしたい」「自分はこう思ってるんだ」みたいな、決断を下すうえで一番大事な「自分」を見失うことが多い。例えば大学を選ぶ際にも、親や先生、塾講師などなどいろいろな人たちから様々なアドバイスが与えられる。そして、一番大事な「自分」を見失ったまま、他人のアドバイスに従って生きていく人が多い。僕は、こうした方がいい、ああした方がいい。などのアドバイスは時として人の役には立つけれど、それが度を過ぎてしまうと、もはや「暴力」になり果ててしまうと思っている。ここで僕が言いたいことは、他人のアドバイスなどは自分が決断を下すうえでは何の意味も価値もないのだと言うことではない。他人のアドバイスは、所詮アドバイスでしかなく、最終的に選ぶのは自分自身であるということだ。結局、アドバイスをしてくる他人が僕の人生を代わりに生きることは不可能であり、自分の人生を歩むのは自分自身しかいない。だとすれば、他人のアドバイスに惑わされて自分のしたいことを押し殺して生きるのはおかしな話である。

自分が生きるのは、自分のためなのだ。

 

完全なる選択の自由の前では人間は身勝手で、弱い。

人が自分の人生を生きていくうえで何よりも重要なのは、自分で選ぶということに集約すると思う。どのような選択肢を選んだとしても、それは自分の選んだことであり、人間は選択肢を選べる自由からは逃れることができない。人間は本来自由な存在である。しかし、自由すぎる(自分が選べる選択肢が多すぎる)あまりに、怖くなる。人間とは不思議な生き物で、完全なる選択の自由を与えられると、「本当に自分で選んだ選択肢はこれで大丈夫なのだろうか」という謎の不安を感じるのである。自由過ぎるあまりに選択肢が多過ぎると必然的に、その一つの選択肢を選ぶ人間の数は減っていくので、だからできるだけ多くの人間が選んでいる選択肢に進み(自分の意志を無視して)人は安堵する。

フランスの哲学者サルトルは「人間は自由の刑に処せられている。」と表現した。結局どれだけ他人のアドバイスや批判を受けたとしても、どの大学を選ぶのかは自分自身であり、その選択にどれだけ自分が納得していなくとも、すべては自分で選択した道なのである。どうしても別の大学に通いたいのならば、どのような手段を使ってでも自分の通いたい大学に行くはずであり、他人のアドバイスに惑わされて別に行きたくもない大学に通う自分がいるのならば、それは結局、その大学を選んだ自分が自分自身の中のどこかに存在したということであって、その責任は自分自身にあり、その責任を他人に背負わせることはできない。自由には、自分で選ぶという責任(決断)が伴う。

自由を求める一方でそれに伴う決断を避ける人間は極めて身勝手で、かつ脆弱な人間は自分の意志で選んだ選択肢にさえも自信を持つことができない。

 

人間の脆弱性はいつしか義務感へと変貌していった。

完全なる選択の自由を与えられた人間は、自分の意志で選んだ選択肢を歩むことに恐怖心を抱く。そのような人間の脆弱性はいつしか義務感へと変貌していった。人は無意識に、周囲の人間に同調(カッコ良く言えば協調)することに義務を感じるようになったと思う。それは今まで受けてきた日本の教育を鑑みれば、当然と言えば当然である。今の日本の教育では協調(悪く言えば同調)することが何よりも重要であり、他の誰かが皆と違うことをしていると、周囲からの総攻撃をくらう。だから、「みんなが大学に通ってるから私も通う」とか、「みんなこの人のこと嫌ってるから僕(私)もこの人を嫌っておこう」とか、世の中には自分の意志を無視した(無視せざるを得なかった)人間で溢れている。自分ではない何者かからの同調圧力に負けてしまって、自分はこうありたい。自分はこれがやりたい。を自分自身の中に封じ込めてしまっていると思う。しかし、ここで何よりも重要なのは当然、協調を教育理念に掲げる日本の教育に従うことでも、他人のアドバイスに惑わされて自分を無視することでもなく、自分が自分自身で封じ込めてしまっていた「自分」を解放することなのだと思う。

 

人生には完全なる選択の自由が存在する。

しかし、その完全なる選択の自由には自分の意志による決断の苦しみが伴って、いつしか人はその苦しみから逃れるために「本当の自分」を自分の中に閉じ込めた。

f:id:hase9822:20160903084823j:plain「本当の自分」を解放すること、さらけ出すことが自分の人生を豊かにし、そうしない限り永遠に、人は自分の人生を生きることができないと思っている。

 

ではでは、おつぽん!